言うたらなんやけど 天皇の祭祀
2010/11/24 (Wed)
問題提起 人のあり方
皇后様の歌を「御歌(みうた」と言うそうですが、香淳様と美智子皇后のみうたを比較してみました。
香淳皇后
みまつりに いでます君を 見おくりて 暁つぐる とりがねをきく
美智子皇后
神まつる 昔の手ぶり 守らむと 旬祭に発(た)たす 君をかしこむ
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どちらも天皇が祭祀にお出かけになるのを、皇后がお見送りする時の歌だと思うのですが、何というか、皇后だけでなく天皇の性格も表されているように思います。
昭和天皇・香淳皇后組(不敬な言い方ですみません)自然体。
今上陛下・美智子皇后組は、気負いというか「やる気まんまん」
な様子が伝わってきます。
二人のお嫁さん
2010/11/24 (Wed)
美智子皇后の歌集「瀬音」
汚い本ですみません、わりに何度も読んだので。
美智子皇后の歌集「瀬音」から皇太子様、秋篠宮のそれぞれの結婚を詠んだものを拾ってみました。
(結婚順です)
秋篠宮
・嫁ぎくる人の着物を選びをへ 仰ぐ窓とほき 夕茜雲(ゆふあかねぐも)
・みどり児と授(さづ)かりし日の遠くして 今日納采(なふさい)の日を迎へたり
・瑞(みづ)みづと早苗生ひ立つこの御田(みた)に 六月の風さやかに渡る
皇太子様
・婚約のととのひし子が晴れやかに 梅林(ばいりん)にそふ坂登り来る
・「父母(ちちはは)に」と献辞のあるを胸熱(あつ)く 「テムズと共に」わが書架(しょか)に置く
・たづさへて登りゆきませ山はいま 木木青葉してさやけくあらむ
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「瀬音」は詠まれた順に並んでいるので、どうやら「テムズと共に」は婚約が決まった後、皇太子様は母上に贈られたようです。
何となくですが、紀子さんの支度に手をかけてやった分、美智子皇后の思い入れが次男嫁の方に厚いように思います。
甘えてくれる方が嬉しいってタイプなのかな。
私はあんまりベタベタされると邪魔くさいけどねw
歌会始デビュー
2010/11/24 (Wed)
お歌の比較
歌のことは全然わかりませんけれども、ちょっと比較してみました。
ついでに時の皇后がどんな御歌を詠まれているかも参考のために載せます。
☆美智子妃デビュー
昭和35年歌会始お題「光」
皇后陛下御歌
あたらしき力わきくる心地して朝日の光あふぎみるかな
皇太子妃殿下お歌
光たらふ春を心に持ちてよりいのちふふめる土になじみ来
※ ううむ、美智子さんリキ入ってます。意味がよくわかんない
★キコさんデビュー
平成4年歌会始お題「風」
皇后陛下御歌
葉かげなる天蚕(てんさん)はふかく眠りゐて櫟(くぬぎ)のこずゑ風渡りゆく
文仁親王妃紀子殿下お歌
星の夜テントの中にともしたるランプのほのほ風にゆらげり
※ テントの中のランプがゆらぐほど?風、ひどかったんだね
☆雅子様デビュー
平成6年歌会始お題「波」
皇后陛下御歌
波なぎしこの平(たひ)らぎの礎(いしずゑ)と君らしづもる若夏(うりずん)の島
皇太子妃殿下お歌
君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る
文仁親王妃紀子殿下お歌
打ち寄する波に向かひて懸命に進む子亀の無事を祈れり
※ この雅子様のお歌は衝撃的だったわ。頭の良い方は何でもおできになるんだなぁって。
美智子さんは歌詠みとして有名だけど遜色ないって思った。嬉しかった。
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「君」と入っているお歌の比較
文仁親王妃紀子殿下お歌
三年(みとせ)まへきみが植ゑまししオンブーの苗は樽形に幹ふくらめり
皇太子妃殿下お歌
君とゆく那須の花野にあたらしき秋草の名を知りてうれしき
完璧主義とはちょっと違う皇太子家の教育方針
2010/11/24 (Wed)
努力すること
「しかし、どこか少し無理をされているような気もします。上手にミスなく演奏しなければいけないという強いプレッシャーがあるようにも見受けられ、側近からも心配の声があがっています」(前出・宮内庁関係者)
ミスなく演奏するためではなく、きちんとやれるだけやる、最後まで最大限努力することを、雅子様は愛子様に教えていらっしゃるのではないでしょうか?
これってなかなか出来ないことですが、本当にこれが出来る人間と出来ない人間は違いますよ。
この努力が出来ることも才能のひとつです。
達成主義はものごとの本質をあやまらせることもあります。
私は努力することを愛子様に教えていらっしゃるのだと思うなぁ。
天皇賛美 プラーニンという魚
2010/11/28 (Sun)
ブルーギルを持ち込んだ今上陛下
今上陛下が、各地の湖で困り者になっているブルーギルを持ち込んだそうなのだが、反対にティラピアをタイへ贈り、かの国のタンパク質摂取の向上に一役かったそうである。
タイでは、明仁の仁をとってプラーニン(仁魚)と呼ばれて、その恩を忘れないようにしているそうだ(とwikiにも書いてある)。
今日、たまたま夕食時にその話になり、たまたま出張のついでに寄った息子もいて、彼が「え?昭和天皇でしょう」という。
まぁ、今上陛下の皇太子時代の話だから、昭和天皇が正式の贈り主なのかもしれないと思うけれども、検索してみたら、ちょっと今上のage記事とは別の記事がヒットした。
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◆ バンコクから見える日本 ◆
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■ プラー・ニンという魚
筆者の職場の後ろには運河がある。普段は思いっきり汚いドブ川でしかない。
今もそうだが、最近その水面に魚の姿が見える。フナより少し大きめでぱくぱく
口を大きくあけている。よっぽど水の中は酸欠なんだろう。汚いものなぁ。遠く
から見るとボーフラがわいているのかと思ってしまうほど魚の数が多い。今釣り
をしたら入れ食いだろう。
実はこの魚、この大きさでは食べる価値もないが、もう少し成長すると鯛ほど
の大きさになる。そうすると誰かが網でとって食卓に上がる。
この魚は“プラー・ニン”という。実は昭和天皇がプーミポン国王に贈ったも
のだと言われている(現天皇がタイ訪問時に持参したそうだ)。
淡水で容易に繁殖し、鯛のような白身を提供するこの魚は貧しい農村の現金収
入に一役買うことになる。国王は最初の稚魚を大事に育て、繁殖を繰り返して全
国にお配りになった。こうしてこの魚は全国どこの川にでも生息するようになり、
レストランのメニューに加わった。
この話はタイ人ならたいてい誰でも知っている。そしてたいていの日本人は知
らない。
内陸の地方でタイの人に食事に招待されるとたいていのレストランで出てくる。
そこで初めて聞かされて恐縮する話の代表だ。そのことを話すタイの人は感謝を
こめているのだということに気づこう。
東南アジアには日本人がもたらしたものが数多くある。いいものも悪いものも。
少なくともタイに住んでいる私たちはこれらの話をもっともっと知っていたほう
がいいのだろう。先々週に紹介したトルコのエルトゥール号の事件を読んでなお
そう思った。
“プラー・ニン”の日本で呼び名は「ティラピア」。ナイル川に生息していた
ものらしく、「ナイル・ティラピア」とも。“ナイル(Nile)”がタイ語発音に
なって、“ニン”となったらしい。
雨期になって川が増水するとよどんでいた運河にも水流ができるという。その
水流に乗って魚たちも流れこんでくるのだろう。裏のドブ川で水面を波立てる
“プラー・ニン”の群れを見て感慨にふける。日本人の同僚は誰も気づいてくれ
ないが…。
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こっちの方が何となく本当の話のように思える。
「ナイル」が「ニン」になっただけなのが、こんなうまいエピソードになるなんてね。
「あなたを傷つける人」の心理
2010/11/29 (Mon)
鳳凰様ご紹介の本です。
鳳凰様ご紹介の本です。
今までの報道から「勘」のようなもので漠然と感じていたことが、こんなにはっきり活字になるとびっくりしてしまいます。
「汽車の窓から手を握り、送ってくれたあの娘より、ホームの陰で泣いていた、可愛いあの娘が忘れられぬ」という曲があった。
・・・・・・・しかし実はこの「ホームの陰で泣いている」女がくせものなのである。「退いたかたちで」自分を売り込んでいる女である。
「退いたかたちで」自分を売り込む女は、ホームの陰で泣いている自分を相手が見るということをきちんと計算している。
・・・・・・・・でしゃばりなら、「でしゃばり!」と相手を非難できる。しかし毒キノコ的な女はでしゃばりでないから、「でしゃばり!」と責められない。
そして毒キノコ的な女は責任感がないから、相手の犠牲を要求して生きている。責任感がないからなんでもできる。
なるほど、納得というより、一人寝室で涙しておられたことを記事に書かせた(誰が見たっちゅーねん)ある方のイメージを彷彿とさせます。
これはほんの一部なんですが、ほんとに心理学って怖いです。
心理学を専攻しておられた宮妃もどこぞにおられたやに聞いておりますが、あんまり自分のことだとは思わないのでしょうか。
ま、自分のことは気づきにくいといいますからねw
愛子様の作品
2010/12/09 (Thu)
「図工室モンスター」
私、実は図工って得意じゃありませんでした。
いつも作品展は苦痛だったし。
そんな美的感覚ゼロの私だけど、愛子様がお小さい頃から作られている作品を見るにつけ、「鑑賞者」としての目が肥えてきたような気もします。
かわいいモンスターだけど、モンスターはモンスター。
犬が「あやしいやつ」って吠えてる。
手前の犬はちゃんとモンスターの方を向いてる。
愛子様、細かいなぁ。
モンスターのアンヨ?のわっかも大と小。
このアシンメトリーが動きを作ってて、すてき。
http://news.tbs.co.jp/20101208/newseye/tbs_newseye4596090.html
よけいなことだけど「親王様の作品」。
ちゃーんと皇后様に賜った「あけび」が入っていて、キコさんテイストがよく出てるわw
ルポ、二代の皇后のお若い時代を見た人より
2010/12/13 (Mon)
ルビー様のレポートです。
何気ない記憶とともに思い起こされること。
自分には記憶はなくとも、重なりあった時の中で、記憶を共有したことが、時の流れの中でその時代を蘇らせるのですね。
遠い記憶の中に、懐かしさがいっぱいにあふれてきます。
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その人は、お茶の水付属のOGであり、学習院初等科に子供を通わせた母でした。
思えば、どちらも昭憲皇太后が設立した、皇后陛下ゆかりの学校でした。
ふと その人に「皇后様」という話題を出してみたところ、熱気のある意見が返ってきて驚きました。 「皇后様と言えば、昭和の皇后様よ! 私は幼稚園と中学の時に見たけれど、とても素晴らしくて、皇后とはこういうものだと思ったの」
「幼稚園にいらした時はまだ戦前で、頭を上げちゃいけなかったけれど、鹿の帽子と服の模様を見ただけで感動した」
「それから中学になって、学校にいらしてご挨拶をされたときには、色が白くて綺麗で、堂々としていて優しくて『THE皇后』という感じだったわ。だけど見た目の絵のようなお姿に比べて、お声がとても高くて驚いてしまった」 と、驚きの様子を語りつつも、香淳皇后に大きな感銘を受けた日の事に想いをはせていました。
「美智子妃は(学習院初等科の)父母参観に来ていたけれど、なんなのかしら、他の父母がスリッパ履いて教室にいるのに、高いヒールを履いているし、全然違うのよ」 と、美智子妃さまは、香淳皇后さまとは全く違うタイプの女性だと感じたようです。
「それにいつも、皇太子さまから一歩下がっているのがなんだかわざとらしいし、手の叩き方も(実演してみせる、ゆっくり小さく叩く感じ)こんな感じだし、 ともかく不自然なの。
なんだか馴染めなかった。でも、ずいぶん父母参観には来ていたわ」 ということでした。
私自身は、初等科時代に美智子妃を見ていたはずなのに、「ふーん・・・」と思った小さな失望みたいな感覚しか記憶がありません。
近所の人に「美智子様を見たよ」と話した記憶はあるし、前書いたように美智子妃の到着を校庭で待っていた記憶はあるんだけど、ご様子が思い出せません。
そもそもお姫様っぽいものに興味が薄い女子だったからかもしれません。
なので、実家の母から、二代の皇后さまへの、こんなにはっきりとした感想が出てくるなんて思いもよりませんでした。
ああ驚いた。
でも、70代以上の女性がもつ皇室への感覚は、以外と的を得ているのかもしれないですね。
メールをいただきました。
2010/12/23 (Thu)
一部分を抜粋してご披露させていただきます。
公開してもかまわないと言うことでしたので、一部分を抜粋してご披露させていただきます。
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美智子様のラブレターで想い出しまして、雅子さまのクリスマスカードを探しましたら、ありましたー。
「雅子さま クリスマスカード」で検索してみてください。
ご婚約内定当時新聞にも掲載された、達筆の雅子さまです。
URLを貼りたくても、大変な文字数で無理でした。
美智子様の生け花お稽古のノートも拝見したことがあります。
とても絶賛するような筆跡ではありませんでした。
(あの世代にしてはお上手とは言い難いのです)
美智子様は雅子さまに相当のコンプレックスをお持ちのように見受けられます。
狭量な心の持ち主なのでしょう。
ご病気も陛下より深刻というのは、いつもののヒステリーと、徘徊公務を抑えられない周囲の困惑でしょうか。
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川嶋家、母の遺言
2011/02/14 (Mon)
こちらの人の積極性は
香淳様はものごとにこだわらない方なのだな、と思いながら、ふと、もう一人姿を変える雲を追って絵筆を走らせた人を思い出した。
1903年生まれ(香淳様)と1907年生まれ、ともに90を超える長寿を得た。
「何処へ行くにも大きな画用紙と重いパステルを小脇に抱え、着物姿にステッキをつき、足早に歩く姿は、人の眼を引きました。ロンドン塔の衛兵の前だろう と、エッフェル塔のある公園の通路だろうと、気に入った場所を見つけると敷物を広げて正座をして、パステルに指を汚しながら、瞬く間に仕上げてしまうので す。
『ぐずぐずしていると、雲は逃げてしまいますから』という母。帰国後は、空が白み始めると鎌倉の自室の東の窓から昇る朝日を、近くの小高い丘から夕焼けをバックに浮き上がる富士山を、と母の雲の絵は急速にふえていきました。」と娘のとよこさんは書く。
こちらの人の積極性は、雲の方が変化することを躊躇していそうである。
「世のため人のために 身を粉にして尽くし 現代のいしずえを作った 『先祖の記』を文書として遺し 後の世の人々に伝えること」を娘に遺言し、娘もまたそれに応えて「母の遺言を果たすため百歳までも長らえて孝養を尽くさん」と決意するのである。
夫君の「終戦の詔勅」を以て「日本は救われたのです」と息子に手紙を書いた母と先祖の手柄を忘れまいぞと娘にその偉業を書き残すことを頼んだ母が、「男系」で繋がっていくのは何の皮肉か。
板挟みの世代こそ
2011/02/16 (Wed)
問題提起 人のあり方
私がコメントをきちんと読まないままアップしてしまい、またそれをご丁寧にアップしなおすという暴挙に出て、三輪様には大変ご迷惑をおかけしました。
本当にごめんなさい。
ただ、皆様のお考えやご近況なども書いてあるコメントがありますので、それを残すために一部、この親記事を書きなおさせていただきました。
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私自身の考えは、雅子様がおっしゃったように「なるようになる」です。
どうか恙無くイギリス行きが成就いたしますようにと祈っています。
でももし、雅子様のご体調が悪く皇太子殿下お一人の英国行きとなっても、ウィリアム王子のご結婚を寿ぐという第一の目的には叶うことなのですから、アンチ と言われる人たちがどんなに罵倒しようと、新聞雑誌がどんなにバッシングをしようと、自分だけはその手は桑名の焼き蛤、と思っています。
世代間の考えの違いは若干あるものの、時代を反映する国民の考え方というのはもっと長いスパンでもって見ないと差が出ないのではないかと考えるので(例え ば戦国時代までの一般庶民の暮らしと太閤検地以後の庶民とか)現代のように言論の自由がある時代には、「どの人も板挟み」なのだと思います。
でも、この板挟み状態にある人間に一番共鳴できるのは、井戸端会議をやっている人間ではないかと思うんですね。
原理主義では解決しませんが、原理原則でいかなくちゃいけないこともある。そういう時、井戸端では「ケジメつけろよなー、アンタ、最高責任者(社長とか、○○長とか)やろー?」と叫ぶ人がいます。
鳩山首相の「『抑止力』は方便」には、「そりゃぁ、そうやけど、それを言っちゃぁおしめぇよ」と、いきなり寅さんになる人がいる。
そこには理屈ではなく、人間としての共感(あるいは反感)があるから。
そしてそれが理屈ではなく、なにか大事な時に大事な決断をするためのカギになるのではないか、と思います。
華々しく復帰の道を用意されたのに、それに応えられなかった悲劇の人はいくらでもいます。
むしろその方が多いです。
サラリーマンなら、その家族なら、この頃ではよくきく話になっています。
私は人生の真ん中はとっくに過ぎました。
割に順調だったと思うのですが、理不尽だと思ったことは少なくありません。
妃殿下と一緒にしては申し訳ないですが、結婚していきなり「家族」となった夫以外の人との関係で悩むことありました。
子供のことで悔しい思いをしたこと、親の私がかばってやれなくて誰がかばうか、みたいなことを経験もしました。
その割には家庭内でつまらんことで叱ったりもするんですけどねー、その時は忘れちゃってるw
私の母は、私よりもっと強い人間で私の悩みを全然わかってくれなかった人なのですが、この間テレビを見ていて「若い人が働いて得た収入よりこんな年寄りの年金の方が多いなんて、世の中間違っている!」と突然言い出しました。
棺桶に片足をつっこんでいるくせに考えが変わるなんてちょっと感動しましたねw
皇室とは全然違うのですが、そういうもろもろの想いを抱えて何とか今の年まで生きてこれた人生を思えば、お若い妃殿下にはまだまだ時間がありますし、もっともっとお幸せになっていただきたい。
そして、これは私の考えですが、皇室を出ての自由は、妃殿下に関してはお幸せな環境とは言えないのではないかと思います。
つまり、克服されてこその幸せ、と思います。
ご結婚前が、誰に強制されたのでもない、多くの選択肢の中から選びとって、挑戦し乗り越えてこられた半生だったようにお見受けしていますので。
むしろ皇太子ご夫妻がベタな「美智子さま風美談」を書かれるようになったらおしまいだと思っています。
どうも独善的な意見を最初からかましまして、申し訳ありません。
一般主婦としての意見
2011/06/11 (Sat)
「ママの時代とは違う!」
敬宮様ご通学問題のことだけではないけれども、管理人個人のことで言えば「ママの時代とは違う!」と何かと言えば娘につっかかられて来たので、社会問題などは、やっぱり「今」を学んでから、意見を言わねば何にもならないと思います。
こんな子もいる
2010/11/24 (Wed)
問題提起 人のあり方
敬宮様のお付き添いを雅子様がずっと続けておいでになることについて、何かと言うと「自称評論家」たちが、心配している風を装って「ご提言」を繰り返すのだが。
果たしてその人たちの意見は正しいのだろうか?
私のまわりで、リアルにお子さんのことで悩んでいる方がいて、そのおかあさんの嘆きを聞いているのだが、(むろん、私は何もアドバイスする立場ではない) 自分の子育て期間中のことと考え合わせて、こういう問題というのは、雅子様のご病気と同じで、必ずしも一つにはくくれないものだという思いを、話を聞くた びに、強く抱く。
そして、いろんな要素がバラバラで、さまざまに影響しあっているので、まわりに正しく理解してもらうことは、不可能に近いのではないかという気にもなる。
いや、むしろ当のお母さんたちも、頭では理解しつつ、時によくわからないこともあり、それでも、わが子のためを思って、医者の意見を唯一の手がかりとして、日々奮闘しているのである。
奮闘というのは、髪振り乱して何かするわけではない。
何か言いたくても、何かしたくても、静かにじっと、わが子のサインを見落とさないように、わが子を見守り続けることなのである。
この静かな奮闘がいかにエネルギーを要するものかは、まわりからはわからない。
なぜなら、子どもはもう小学校にあがって、社会の中で育ちつつあるのだ。
母親はわが子をめぐる社会をコントロールは出来ない。
そのコントロールの効かない中で、わが子を後戻りさせないために、静かな奮闘を続けなければならないのだ。
わが子の未来のために。
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A君は今、小学校4年生、一人っ子。去年から(詳しく言うと一昨年から)保健室登校である。
お母さんは税理士事務所にお勤めで、共働きである。
それはある日、よくあることで始まった。
「いい加減に起きなさい、遅刻するわよ」
A君は、お勉強はよく出来る、でもサッカーも大好きで、大した病気もせず育ってきたから、あんまり心配をしたことのない子だった。
その子が「頭が痛い」と言って、起きてこない。
お母さんは一応学校を休ませることにし、学校と自分の職場に連絡すると、息子を医者へ連れていった。
結局、風邪気味、疲れということだった。
まぁ、2,3日休めば治るだろうと、お母さんは楽観的だった。
息子はわりと元気で、心配して見舞いに来てくれた近所の友だちと、キャッキャと騒いだりするほどで、本人もすぐ明日にでも学校へ行く気まんまんで、友達とも約束していたと言う。
ところが、次の日の朝、また頭が痛いと言い出した。
「おとなしくしてないからだ」と叱りつけ、今日は一日おとなしくしているように言って、自分は仕事へ出た。
週末まで休ませるようにして、息子もおとなしく静養に努めていたという。
ところが月曜日、また「お母さん、頭が痛い」が始まったそうである。
ご両親は次に「息子のおサボり」を疑い、特に父親は切れて、息子をムリヤリ引き起こして、力づくで学校へ連れて行くという「暴挙」に出た。
それが1週間ほど続いたところで、A君は教室で昏倒し、とうとう学校へ行けなくなってしまった。
なんでも「頭が割れそうになるほどの痛み」が襲うのだそうである。
親は次に「学校での何らかのイジメ」を疑った。
先生や友達に、A君の学校でのことを聞きまわったそうである。
特に「イジメ」を疑っているので、学校側が何か隠しているのではないか、友達は本当はうちの息子を嫌っているのではないかと、聞いても聞いても信じられなかったと言っていた。
同時に、何か頭に腫瘍でもできているのではないかと、大学病院の脳神経外科で検査を受け、子どもの悩み相談に電話をかけ、脳神経外科で何でもないという結果が出た後は、精神科まで受診して、3ヶ月ほどがあっという間にたってしまったそうである。
結論から言うと、原因は「先生の授業」だった。
学年初めからの担任が、産休を取り、かわりに来た先生の授業が、特に大好きだった算数が全くわからなかった。
母親の話
「それがね、悪い先生じゃないのよ。大学院まで出て、頭のいい人だとは思う。私も授業参観したんだけど、ん、まぁ、でも、何というかな、あまりに詳しすぎ て、かえって要領を得ないと言うか、小さい子供だと何となくわかりかけていたものが、理解より混乱になってしまうというか・・・。ていうか、普通に話して いてもわかりにくい先生なのよね。私も何が言いたいのかわからんってことがあった・・・。他の子だって同じだと思うんだけど、そこは適当に折り合いつけた り流したり出来る子たちばかりなのかな?とにかく、うちのAの脳は、混乱しながらも必死に理解しようとして、神経を遣いすぎたんですって!」
使い過ぎた神経は、ちょっとした刺激の信号も、脳の痛みを感じる部分に間違って送りつける「クセ」がついてしまったのだそうである。
その刺激のスイッチはどんなものかはわからない。
ただ、治療としては、神経がそのクセを忘れてくれるまで、なるべく刺激をしないようにする(頭が痛くなることはさせない)ということくらいしかないらしい。
かと言って、学校をやめるわけにはいかない、義務教育である。
で、教室へ行こうとすると頭が痛くなるが、養護室なら痛くならないことがわかり、A君は養護室で授業をうけることになった。
先生は、養護の先生、教頭先生、校長先生など、手の空いている先生が何人か対応してくれてたが、全く頭痛はしない。
そして、期末テストがやって来た。
教室へ入って、もしまた頭痛の発作が起きたらコトだというので、テストは養護室の隣にある養護の先生の執務室みたいなところで受けることになった。
試験監督にはわざわざA君の授業を受け持ったことのない先生2人がついたそうである。
また、A君は自分の教室へ行けないだけで、後は本当に普通なので、彼の友達が養護室へ遊びに来たりしていたのだが、試験の日は放課の友人の訪問も禁止で、部屋にカンヅメになったような格好だったらしい。
お母さんは、変則的な登校のために学力が落ちていないか、ずいぶん心配したそうだが、フタを開けてみたら、何と彼はクラストップ、学年3位の成績だったそうだ。
今までも悪い成績ではなかったが、それなりに親にも子にも危機感があり、勉強はしたそうである。
「私もずいぶん家庭教師をやったわよ」とA君の母親は言った。「妙なところで気になってひっかかるのね、あの子。あの担任の先生の説明で、『あれ?』と思 うことがあると、思考がそこでストップしちゃうみたいなの。それで後の部分でも先生の説明では、何を言っているのかわからない、常にモヤモヤイライラして たらしいのね。何かね、先生の説明にイラッとするところがあるんですって、生意気にも。わかんないって言うんじゃなくて『先生、違うんじゃない?』って 思っちゃうんだってさ。でもそれは口に出すほど明確なものでもないので、イライラが募って・・・ってことらしいのよ。私も教えていて、イッチョマエに屁理 屈こねるから『そんなことにこだわってないで、次、行った行った』って怒ることもあるんだけど」
彼女は、先生が間違っているわけはないが、と何度も言いつつ、何となく息子が、今の担任のどんなところでつまづいていたか、何となくボンヤリとわかったような気がする、と言っていた。
A君はもちろん塾にも行っているし、そちらは特にトラブルもないようだし、教室へ入れないからと言って、友達が減ったわけでもなかったようなので、母親にも聞いている私にも、「辛抱していればそのうち頭痛は起こらなくなるだろう」という漠然とした期待が湧いていた。
そんなにしょっちゅう会う人でもないので、次に彼女に会ったのは、それから何ヶ月か過ぎた時だった。
朝、頭痛がすると言って、学校へいけなくなってから1年たっていた。
「元気でやってる、彼?」
彼女の声は力がなかった。「相変わらず、でも希望は持ってるんだけどさ」
学年トップ3の成績に輝いて、次の学期からは普通に学校へ行けそうだ、と子どもでさえその気でいた時である。
A君が頭痛と吐き気で、早退してきたそうである。
職場から飛んで帰って息子にわけを聞くと「先生たちが、僕をだまして教室へ連れていこうとするんだ」と言う。
「だまして」とは穏やかではない、何事ならんと、よくよく聞いてみれば、テストが終わった頃から、校長先生や教頭先生が、かわるがわる「Aく~ん、ちょっとそのへんを先生と歩かないか」と彼を養護室から連れ出し、何とか教室へ入れようとするのだとか。
教室の近くへ来ると「ちょっと入ってみようよ」と言うのだそうである。「ほら、勇気を出して」
あるいは「今日は視聴覚教室で授業をやってみよう」と彼を連れ出し、わざわざ遠回りになるのだが彼の教室の前を通らせようとする。
一番熱心なのは教頭先生で、A君は、授業担当が教頭先生になると、だんだん気分が悪くなってきたそうである。
その日、教頭先生はA君の腕をがっちりつかんで、「ほら大丈夫、先生も一緒に入るから、ちょっとだけ、ちょっとだけ」と教室へ引きずっていったそうである。
A君は、たまらず吐いてしまった。
わが子の話を聞いて、お母さんは学校へ飛んでいった。
ここでまた頭痛を起こすくせがついてしまったら、元も子もない、どうか無理強いはやめてくれと、拝むようにして頼んだそうだ。
「お母さん、そんな悠長なことは言っておられんのです」教頭先生も困り切った顔で言った。
A君だけ「マンツーマン」の授業をやってもらってズルい、という声が、他のお母さんたちからあがったのだそうである。
なまじトップの成績をとったのが、あだになってしまった。
職員会議でも、やはりA君にだけ教師を差し向けるのは、不公平であろうと言う意見が出て、先生のA君に対する指導目標は「教室で授業をうけさせること」と決まり、先生たちがそれぞれいろんな工夫を試みているのだそうだ。
ある先生は、養護教室から自分の本来の教室までどれくらい近づけるか、という授業をするようになった。
一番遠いところから始めてだんだん近くしていく、最終的にはダイレクトに教室に行く、という計画だったらしい。
「この頃、なんだか元気がないな、とは思っていた」と彼女は言った。
A君は、教室に近づくにつれて、いつ頭が痛くなるか、自分でもすごく不安だったようだが、先生は「ちょっと痛くなったら、すぐやめればいい。そのうち我慢 出来る程度に、だんだん慣れて来たら、思い切って教室に飛び込んでみよう。少々痛くても、成功したら痛さも吹っ飛ぶよ」と元気づけてくれるそうである。
実際頭痛がして吐き気も出たことで、「教室接近作戦」は中断になったらしいが、また折を見て再開する予定なのは、言われなくてもわかっている。
「実際のところ、Aの頭痛もどの程度だかはわからないわよ。でもねぇ、母親としては、やっぱり今の段階で、頭痛をおこさせるようなことはさせたくないし、先生方にもしてもらいたくない。」
他のお母さんたちから不満が出たことで、先生方のA君を見る目も変化したという。
はっきりと「お荷物扱い」になっていること、いつまでも変則的な事はできない、という意思表示が常に親に向かってなされるそうである。
転校すれば治るという保証があるなら、すぐにでも家を売って、学校を変わるけど、と彼女はため息をついた。
A君はこのところ元気がなく、勉強もあまり手がつかないようで、成績も下降気味らしい。
「どうしようもないけど、とにかく、息子が頭痛をおこさないですむように、ひたすら学校に頼み込んでいるわよ。」
今までは、仕事があるからとPTAのお役も逃げ回っていたが、他のお母さんからこれ以上文句を言われないように、今学期は自分から引き受けたそうだ。
「そうそう、あの担任の先生だけど」と彼女は言葉をついだ。A君のクラスは去年の先生はそのまま4年に持ち上がりになっている。「なンかね、この春からウツっぽくなっちゃってね、先生も時々保健室へ来て休んでいたんだって。」
先生は、夏休み以降、長期のお休みをとり、かわりとして、前の産休の先生が来ることになったそうである。
それならまたそれがきっかけで、A君も教室で授業が受けられるかもしれない。
しかし、その今の担任も気の毒ではある、と彼女は言った。
「先生がうちの息子に『ごめんね』って言ったんだってよ、それでね、うちの息子なんて言ったと思う?『先生、僕が言うのもなんだけど、あんまり気にしないほうがいいよ』って言ったんだって!それで先生も『そうだね』なんて言ったんだってさ!」
A君の頭痛は治ったわけではないのだが、なんだろうね、子供ってなんだかおかしいね、と二人で笑ってしまった。
まだまだ、これからも苦労は続くわけだけれど、
頑張れ、お母さん。
あんな子もいる
2011/06/23 (Thu)
問題提起 人のあり方
もう一人は、B子ちゃん、小学校2年生、下に弟がいる。
この子も賢い子で、早くから字を覚えて、スーパーで買い物をする時、ママが「食パン」と言うのに「超熟」と言い直す子だった。
A君よりちょっと前のことだが、2年生になってしばらくして、B子ママは、B子ちゃんが「おもらし」をしているのではないか、と思った。
何か臭うのである。
おとなしい子でいつも本を読んでいるが、注意してみていると、ちょっとソワソワしているようである。
「我慢していないでトイレに行きなさい」と言うと、はい、と返事して相変わらず本を読んでいる。
ママは娘がちょっとグズなことを知っているので、急かしたり注意したりしていたが、その「ちょっとのおもらし」はちっとも治らなかった。
「そんなソワソワして、トイレでしょ?」と聞いても、B子ちゃんは「大丈夫」とか「したくない」と言う。
お風呂の時に脱いだ小さなパンティが明らかに濡れていることもあるし、学校へ行くときは、紺色のブルマ着用なのだが、梅雨ともなると、ブルマの中で蒸れて臭いがひどくなり、はっきりとわかるようになった。
学校では、ちゃんと放課ごとにトイレに行くこと、と約束させたが、いつもパンティがちょっと湿った状態で帰ってくる。
学校ではトイレに行ったか?と聞くと、行きたくなかったから行かなかったと答える。
完全なおもらしではないが、小学校2年生にもなって、いつもパンティを湿らせているのも問題には違いない。
B子ママに相談されたが、「おもらし」と言えば、下の子ばかり可愛がって、上の子が赤ちゃん返りをする、とか言うぐらいしか聞いたことがない。
B子ママは、ある大学の児童心理学教室が月1回開いている「子育て相談室」へ相談に出かけ、次の回にはB子ちゃんを連れて出かけて、いろいろ質問攻めに合い、それから病院で腎臓や膀胱の検査を受けることを勧められた。
同じ大学の附属病院の、泌尿器専門の小児科医に宛てて、紹介状を書いてもらえたので、ママは、B子ちゃんを連れて出かけた。
小学校2年生だと聞くと、お医者さんはまず「学校は楽しい?」と聞いた。
B子ちゃん「うん、楽しい」
医者「先生は授業中に『おしっこ行きたい』て言ったら『いいですよ』って言う?」
B子ちゃん「ううん、放課にいかなきゃいけないの、お約束なの」
医者「先生のこと好きかい?」
B子ちゃん「うん、大好き」
まぁ、詳しいことはわからないが、だいたいこんなやりとりだったそうだ。
そして検査の結果も含めて、小児科医から聞かされたのは、B子ちゃんは、膀胱入口の筋肉の緊張が強く、尿意を感じるとすぐに筋肉が収縮反応を起こし、同時に尿意を感じなくなる、その結果、膀胱の中の尿が、輸尿管をさかのぼり、腎盂炎になる寸前だったというのだ。
腎臓がいかれてしまう前に、何とか尿の逆流を止める、利尿剤と筋肉の弛緩剤を組み合わせて治療する、学校の先生には、授業中のトイレ行きを許可してもらう よう、頼んでください、但し、一人だけ特別扱いされてると、くれぐれもお嬢さんにけどられないようにしてもらってください。
B子ママは、小児科医に言われた通り、担任に事情を話し、担任も「それは大変ですね」と協力を申し出てくれた。
それまでは良かった。
薬も効いたとみえ、小さなパンティは濡れなくなった。
B子ママはホッとした。
が、ホッとしたのもつかの間、またB子ちゃんの「おしっこ我慢」が始まった。
今度は歯をくいしばって我慢するようになった。
トイレへ行ってきなさいと言っても「したくない」と言う。
そうこうするうちに高い熱が出て、B子ちゃんは入院することになってしまった。
夏休みが過ぎて、B子ちゃん姉弟は学校を変わった。
今は、定期券をぶらさげたかばんを背負って、毎日バスに乗って元気よく通っている。
原因はなんだったと聞いたら、B子ママは「そうねぇ、一番の原因は、先生のことが大好きだった、ってことかしら」と言った。
大好きな先生の言いつけを守ろうと、我慢をしているうちに、本人も気づかないまま、そんな風に体が反応するようになってしまったらしい。
何とか緊張が溶けて治っていくかと思った矢先に、ある出来事があり、それがきっかけでぐっと悪くなってしまった。
「ある男の子が授業中トイレに行きたいって言ったんですって。先生は、これっきりよ、って許可したらしいんだけど、うちの娘にもね『B子ちゃんもしたかっ たら、今行ってきなさい』って言ったんですって。うちの子はしたくないからって行かなかったらしいけど、それからよ、なんかダメになっちゃったのは。」
学校を変わったのは、B子ママと担任の先生との感情的な反目もあったらしい。
先生は良かれと思って、B子をうながしたのだと弁解したらしいが、B子ママは怒っている。
「だってね、大人だって人前で『トイレ行ってきなさい』って言われてごらんなさいよ、嫌でしょうが。」
小児科医に言われた通りに「特別に気を使っているとはわからないように、しかし、特別扱いにしてやってくれ」ということを頼んだら、担任の先生は「私は具体的にどうしたらよいのでしょう?」と反対に聞いてきたそうである。
B子ママにも、具体的にどうして良いかわからなかったので、小児科医にそれを告げたら、彼は「それじゃ、僕が直接手紙を書きましょう」と言ってくれたそうである。
保護者面談の時に、担任の先生は、その手紙を見せてくれたが、それには「子供たちがトイレに行きたいと言ったら、すぐに許可してやってください。いつでも何度でも」というようなことが書かれていたそうである。
でも担任の先生はちょっと不満だったようだ。
「一人に許可すると、あの子もこの子も、と大騒ぎになることもありますしね。もう2年生なのですから、少しは我慢と言うことも身につけませんとね。こちらはこちらの事情があります。お医者様の言われることももっともですけどね、なかなかそういうふうには・・・。」
どんな親も
2011/06/23 (Thu)
問題提起 人のあり方
私としては、最近の通学トラブルで身近に聞いたものは、この2つしかない。
しかし、この2つから思うことは、最初から最後まで本人と親と学校の問題だと言うことである。
それに関係しない人間は、口をつぐんで、待つ、ひたすら解決するまで待つ。
たとえ何とかしてやりたいと強く思う祖父母であったり、近所のおばちゃんであったりしてもだ。
なぜなら、通学は毎日行われ、事態も決して固定化しているわけではないからである。
それにかかわる人たちにも、違う日常があり、違う事情があるから、通学する毎日は、一日、一日、同じようで同じではない。
A君で言えば、うまく行きだしたかな?と思った矢先に、ダメになった。
そのきっかけは「A君だけマンツーマンで授業を受けて、いい点を取った、ずるーい」という他の父兄の声である。
A君ママは自分も子どもの勉強を見た、と言うが、やはりマンツーマンで授業をしてもらった効果も認めている。
困ったことに、学校というところは、やっぱりお勉強をするところで、成績が良いことは、居心地の良さにつながる、という側面もある。
だからと言って、「A君だけずるい」と言うお母さんに、「それじゃぁ、貴女のお子さんに、養護室で一人授業を受けさせたいか?」と聞けば、たいていは黙ってしまうだろう。
それならば、そう言って他の親を抑えられなかった校長先生たちの問題か、と言えば、「それが出来ればそれにこしたことはない」と言う事になる。
出来れば、ということは、出来ない事情もあるということである。
他の親をだまらせるには、説明して納得してもらう他にも手はある。
A君が曲がりなりにも教室に入って、先生の授業がわかろうがわかるまいが、だまって机に向かってすわっててくれればいいわけである。
考えてみれば、先生は概ね忙しいから、A君の勉強を見てやるのに、最初はちょっと無理をして時間に都合がつけられたものが、期間が長くなればなるほど、先生の手当はつきにくくなる。
何とか教室で授業をうけられるようにしようと、勉強より教室へ入ることを優先したというのも、わからないではない。
ところが、A君は「先生が僕をだました」と、とった。
10才の男の子だ、大人の事情はわかるまい。
それに、やっぱりA君は先生に騙されて、教室へ連れて行かれたわけだから。
ここで、A君の通学トラブルは最初の事態とは変わってきている。
担任の先生の授業がよくわからないという苦痛から、頭痛を起こすようになったA君だが、先生に不信を持つようになり、体の状態としては吐き気が出てきたのである。
しかし、次の手はすぐにはうてない。
一時中断して様子見である。
学校も一つの組織だし、他の子どもや他のトラブルも抱え、また、文科省からの通達もあるだろうし、それへの報告だってあるだろう。
その間も、A君は養護室へ登校している。
元気はないという、そりゃァ当たり前である。
自分はどうなるのだろう、という不安は、当の本人であるし、経験の少ないまだ10才の子どもなのだ、どれほど大きいだろうと思う。
それでは、母親はどうだろう?
仕事と両立できないなら、やめるつもりはあったろうが、通学のために自分が何が出来るか、ということを考えてみると、とりあえずは養護室までは行ってくれるし、帰りは友達と帰ってくる。
今まで以上に、学校の勉強を見てやることくらいしかない、と言っている。
ここで今度は、家庭で横槍が入る。
近所に住んでいるA君ママの母親が、「まだ小学生なんだから、そんなに勉強しなくたっていいわよ」と折々A君のいるところで、曰うのだそうである。
自分の母親だから「無責任なこと言わないで!」と一喝できるから、それほどのことはないが、A君ママにとって小さなストレスになっていることも事実である。
時々「そうかも?」と思うことがあるのだそうだ。
疲れて、A君の勉強を見てやることがおっくうになることがある。
そういう時、母親の言葉が「あま~い誘惑」と変わるそうである。
「1番でなくちゃいけないのでしょうか、2番じゃダメなんでしょうか」(そんなに一生懸命やることもないかも、そこそこの点がとれればいいんだから)
無理はしないことよ、と私はつい言ったのだが、この賢いお母さんは言うのだ。
「でもねぇ、小栗(Oakley)さん、Aは授業がわからなくなって、脳が疲れちゃったんだよね。ここで勉強でつまづくことがあったら、Aのシナプスはま た暴走するかもしれない、そう思うとね、やっぱり勉強だけは見てやろうと思うのよ、それにこれしかしてやれることってないし」
1年以上たって、状況はいろいろ変わり、先生たちの対応もいろいろ変わった。
話を聞いている私も、失礼ながら、言われるまでA君の通学トラブルの原因を思い出せなかった。
結局、流動的な毎日の生活の中で、根本を押さえていられるのは、とにかくわが子が痛い思いをしないようにと願う親だけなのではないか?
だから、私は口をつぐむ。
お茶をゆっくりいれ直す。
それくらいしか私に出来ることはない。
敬宮様のご通学問題でも然り、自分の経験や自分の考えだけで、わかったようなもの言いをする人がいるが、果たして、問題の核心をついているかどうか?
というより、それは、敬宮様や皇太子ご夫妻にかこつけているだけの「自己満足」にすぎないと思う。
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B子ちゃんのことで、驚いたことは、「おもらし」の原因が「先生が大好きなこと」ということだ。
B子ママも小児科医からそう言われてびっくりしたという。
「いやぁ、先生が大好きだから、先生の言う事には忠実であろうとするんですよ。1年生の時からの持ち上がりでしょ?おしっこは放課の時間に行っておきましょう、と先生に言われて、B子ちゃんは頑張ったんでしょう。」
B子ちゃんは、おっとりとした子で、B子ママに言わせると「グズ」である。
推測だが、放課にトイレに行きそびれることが多々あって、そんなふうに筋肉が緊張する「クセ」(またしても!)がついてしまったのかと思う。
子どもの体の異変は、ネガティブなことだけで起きるとは限らない。
児童心理学教室の相談室で、B子ママは「今は(おもらしは)少しだけですけど、これがお教室で他の子に気づかれると、イジメられる、もうイジメられてるか もしれないです。どのように対処したらいいでしょうか?」と相談員の教授に食い下がり、「お母さん、まずおもらしを治しましょう、泌尿器科で検査を受けて ください」とたしなめられ、ハッとなったそうだ。
早めにトイレに行け、濡れてしまったら早めにパンティをとりかえろ、とB子ちゃんにうるさく言ったし、この「お漏らし」の原因はなんだと悩んだが、お漏らし治療は頭になかった、と気がついたそうだ。
オオゴトになる前に、治療が出来て、やれやれこれで一件落着、と思ったら、先生の「ついで」の発言で、事態がひっくり返ってしまった。
子どもの心と体はなんて繊細なのだろう、と心臓に毛がはえているおばちゃんは、あらためてびっくりする。
だから先回りして「心配」しても、それが必ずしも当たっているとは限らない。
子ども自身も、はっきりとは意識していないことだから。
こうしてみると、トラブルなくやってきたと思っても、大人が知らないだけで、子どもに大きな負担をかけていたのかもしれない。
大人は「私はうまくやっております」などとは、口が裂けても言えないことなのだ。
明仁皇太子が否定した親の姿
2011/07/13 (Wed)
元侍従次長 木下道雄著「宮中見聞録」より「皇居勤労奉仕発端の物語」
昭和16年12月8日、大元帥昭和天皇により開戦の大詔が発せられた。日本は米英に対し、宣戦布告したのである。
それから4年、日本は負けた。
「秩序は乱れ、世を挙げての疲労困窮のさ中」奇しくも同じ12月8日に、この物語は始まる。
元侍従次長 木下道雄著「宮中見聞録」より「皇居勤労奉仕発端の物語」
12月に入って間もない時であったが、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一群が到着、どこかの駅から下車したまま、まっすぐに来たのであろう、手に手に荷物を携帯している。守門の皇宮警察官を通じて宮内省への申し入れは、
「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈やお掃 除のお手伝いのために上京してきました。東京には食糧や燃料が乏しいということも聞いていますので、私たちに必要な数日間分はちゃんと用意して持ってきて いますから、東京の人たちに迷惑をかけるようなことはいたしません、どうかお手伝いをさせて下さい」
とのことであった。
(中略)
「われわれの郷里の出身に、長谷川峻という人がいる。緒方国務大臣の秘書官をしていた人だから調べてもらえば判る。この人が先日郷里に帰ってきたとき、皇 居の前の広場がたいへん荒廃していることを嘆いて話してくれた。そこで、われわれは集って相談をした。それは、まことにあいすまぬことだ。みんなで東京へ 行って、草刈や、お掃除のお手伝いをして上げようではないか。草刈は毎日野良でしているのだから、そんなことは何でもない。だが待てよ、今どき天子様のた めに何か働いたら、マッカーサーがわれわれを検挙するかも知れない。それで万一検挙されるようなことがあったときの用意として、第二隊は郷里に待機させ て、第一隊60人だけ上京してきた。県庁の知事さんにも挨拶して上京すべきであったが、これも後で、何かの迷惑がかかっては悪いと思ってだまってこっそり 郷里をはなれてきた。娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」
と上京の動機や万一の覚悟について、縷縷説明するのであった。きいているうちに、私たちは粛然襟を正さざるを得なかった。
(中略)
代表者が御前に出てご挨拶を申し上げたのに対し、陛下は、遠いところから来てくれて、まことにありがとう。郷里の農作の具合は、どんなか、地下足袋は満足に手に入るか、肥料の配給はどうか、何が一番ふじゆうか、など、ご質問は次から次へと、なかなか尽きない。
(中略)
第一回目のとき、皇后さまが陛下にご同行なされなかったのには訳がある。当時、国内の各港には、海外で働いていた同胞の引揚船が続々と到着しつつあった が、殊に南方から帰ってくる人々は、防寒服がなく、みな薄着のままで日本の冬に上陸せねばならず、老幼の困難は特に甚だしいものがあった。皇后さまは、こ れを非常にご心配になり、何か暖かい衣をとお考えになるのだけれども、店は品切れだし、皇居内も、宮殿は消失、倉庫も大部分焼けて材料が乏しい。それでも 探せば、多少の綿や布切れ類があるので、それをできるだけお集めになり、女官相手に、毛糸でスウェーター、また綿や布切れでチャンチャンコを、出来る限り 沢山おつくりになるのでお忙しかったのである。
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>国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。
>これは旧華族上流以上には、求められない姿であった。
と、明仁皇太子は言うのだが(ガーネット様もご指摘になっておられるが)、そんなに自分の母親は否定せざるを得ない人だったのか?
何か悲しくなってしまうよ。
今になって平仄が合う
2011/09/03 (Sat)
「アテクシはうまくやってます」
皇太子殿下、人格否定発言は、「こんなに我慢強い皇太子殿下が、ここまでの発言をされたのは余程のこと」と、何か妙に危機感を感じたものですが、美智子皇 后がきっと雅子妃殿下の力になってくださると、その時は信じていたので、宮内庁擁護発言にはびっくりしたり、がっかりしたり。
そして、天皇皇后のお言葉により、皇太子殿下が非難されるハメに・・・。
しかし、表向きにはそう言わないといけないのだろうと、考えなおし、さらに皇后の慈愛の助力を信じていました(←今になって思うと、ホントっ、私ってアホやぁ)。
ところが、半年以上もたって、いい加減、火が消えたところへ、弟がムリヤリ火をつけた。
ヨメもニヤニヤ「アテクシはうまくやってます」
鯰、トドメとばかりに「うまく出来ないって、よくわかんないですね(ハバド出たんでしょ)」
鯰ヨメ「あちらとは規模が・・・」
↑ この発言、キコさんがさすがに兄嫁をかばったのだと思っていたけど。
今になってわかりました!
あの頃から、東宮家には何十人もの職員がいるのが、うらやましかったんだ!
ただ、それだけ。
美談仕立ての自慢
2011/09/11 (Sun)
別に、ためになることは何にも書いてない。
自分で美談に仕立てて、自慢し、姉が秋篠宮妃紀子であることも自慢している。
自慢に見えないように見えないように、と配慮していることがよくわかり、それでもあふれ出る自慢っぷりで、失礼だけれども、あんまり頭のよい人とは思えない。
「感じました」が多用してあり、ご本人は皇室商売だからいいものの、実業についていたら「使えねーやつ」とレッテル貼られるのは、眼に見えている。
しかし、文藝春秋よ、紀子さまの弟の手記に並べて、反原発の活動家は他にもいるだろうに、わざわざ、ユージン・スミスの妻を引っ張ってきたのは、かつての「秋篠宮が天皇になる日」より、さらに、底意地が悪いだろうよ。
学習院内のイジメ
2010/11/24 (Wed)
愛子さまの 首を絞めた
敬宮殿下がターゲットになったので、雅子妃殿下やら東宮大夫やら、マスコミが食いついて、すっかり話があさっての方に行ってしまっている感があるのだが、 敬宮殿下のご通学問題は、きちんとしたご両親がついておられるのだから、マスコミが騒がなければそれでお終い。
先週、校外学習にも妃殿下がご同行されたことでの批判をかわすために敬宮殿下を一人で登校させた、みたいな書きようをした雑誌があったが、普通の母親で も、1年以上付き添いをすることで、やっと学校へ行けているという状態で、パフォーマンスとしての一人登校など、自分への批判をかわすということと、とて も取り替えられない。
おそらく「とにかく通学すること」を目的にしておられるのだろうと拝察される、この1年7ヶ月だった。
友納記事には「雅子妃”格闘の毎日”」と小見出しがあるが、そうだろうと思う。
付き添いと言っても、”ご元気に”お茶幼へ通っておられる「しょーらいのてんのーさま」に付き添うキコさんとは、心の負担が違う。
雅子妃自身ご病気であることとは別に、子どもの心の負担を理解して、なおその上の正解がわからないまま、続けざるを得ない不安が、母親の上にのしかかっているのである。
子どもが具合が悪いと言うその言葉の裏に、このまま学校を休ませてやりたい、という気持ち、さらに「ここでちょっと無理をしても行かせなければ、ずるずる と不登校になりはしないか」という不安、こういう葛藤が、毎朝毎朝繰り返されると、前に書いた私の友人が言っていたことがある。
雅子妃殿下にもこのようなことが起きているかもしれないとは、容易に説明がつく。
私の友人は、息子が保健室登校でなんとか頑張っているので、自分の仕事が続けられたというが、その心理的な重苦しさは、他人にはわからない。
しかし、雅子妃殿下の場合にも、単なるお付き添いとは違う大変さであろうし、同じく心理的負担は相当なものがあるだろうということは、ちょっと考えれば、普通の人間ならわかりそうなものである。
だから、毎日毎日その日のニュースを追っかける新聞と違って、週刊誌のように1週間単位で考えられるメディア媒体が取り上げるにふさわしい問題点は、敬宮 殿下が今日は一人登校だった、雅子妃殿下は3時間目から来た、などということではなくて、むしろ、全国の同じように子どものイジメや不登校で悩んでいる親 たちにも関連性のあることを取材して、記事にするべきであろう。
たとえば、文春の友納記事で、驚いてしまったことが書いてある。
最初に愛子さまが通学の不安を訴えられたのは、二年生の三学期。一部の男子児童による暴言や、首を絞める、頭を後ろから掴んで下駄箱の中に押し込めようとする、などの乱暴な行動から、学校を休みがちになり、昨年3月から雅子妃の付き添い登校が始まった。
東宮職は、学習院側との話し合いを重ねてきた。だが、「乱暴」の事実が発覚してからも、学習院側が男子児童たちにいじめの事実を確認することはなかった。
皇太子ご夫妻は学校側に頼るばかりではなく自分たちができることで解決するなら何でもやっていこう、というお考えでした。子供たちの関係は改善されて、今では愛子様に乱暴なことをする児童はいなくなったのです」(前出・東宮職関係者)
ここで、よかったよかった、後は愛子様お一人登校が続くようになれば、めでたしめでたし、シャンシャン、と学校側が考えているなら(考えていそうだから、特に書きたいのだが)大間違いである。
前にも、学習院には、例のいじめっ子のために、やむなく転校した生徒がいたはずである。
東園理事も認めた「教室で縄を振り回す子」に怖い思いをした子も沢山いるはずである。
「暴言や、首を絞める、頭を後ろから掴んで下駄箱の中に押し込めようとする、などの乱暴な行動」をした生徒に対し、学校側がどのような対応をとったのか、 それは、敬宮殿下を離れて、真に「教育問題」として、また学習院は一教育機関として、どのように考え、今後の対策をまとめたのか(あるいはまとめている段 階かもしれないが)、マスコミも社会問題として多くの人間が関心を持つ、こちらの方に重点的に取材するべきであろう。
少なくとも、乱暴生徒、暴言生徒は、誰を対象にして狼藉を繰り返していたか、学校側はそれをはっきりさせるべきである。
敬宮殿下も被害を受けた一般生徒の一人だと言うのなら、東宮家だけに対処させるというのは、筋違いであるし、根本的な解決にはならない。
しかし、いじめっ子が敬宮殿下に対し、特別なイジメ方をしていたというなら、これは話は別になる。
イジメの影に、必ずやまわりの大人たちが関係してくることであるし、ただのイジメとは別問題も含まれているかもしれない。
だって、愛子さまの 首を絞めた んだゼェー!?
私の小学生時代にも乱暴な男の子たちがいて、色の白いお下げ髪のおうちが裕福な女の子がいて、よく追っかけて驚かせたりして、泣かせていたけど、首を絞めるなんてことは・・・。
なんという時代になっちまったのか?
時代のせいなのか?
マスコミに追求して欲しいところだわ。。
文部科学省の影響力
2011/10/06 (Thu)
いじめの問題への取組の徹底について
知人の私学校を経営している人物に、どんなことが一番怖いかと聞いたら、何らかの不祥事で私学助成金が減らされることと言ったことがある。
独自の教育、自主的な運営よりは、鎖に繋がれてご飯を貰うほうを選ぶということかw
まぁ、子どもが小さいうち、特に義務教育期間中、あんまり独自性を発揮していただいても、国の存続に関わることで不具合が出てこないとも限らないから、知人のようなのは、冗談めかして言っているが、私としては中間的な考えと思っている。
学習院も、敬宮殿下は皇族であるが、一応一般人と同じように、学習院初等科で義務教育を受けておられる。
学習院の財務関連の表を見ると、国や地方公共団体、学振などから約22億補助金が出ている。
だから、一応文部科学省の鎖に繋がれている学校(失礼!)と見ていいだろう。
そこでだ。
文科省では、いじめ問題について憂慮し、たびたびこれに関する通達を出しているのだが、学習院においても、周知徹底されていることと思う。
まだ、敬宮殿下が幼稚園に通っておられた平成18年には、このようなものが出ている。
いじめの問題への取組の徹底について(通知)
いじめの問題への取組の徹底について(通知)
18文科初第711号
平成18年10月19日
各都道府県教育委員会教育長 殿
各指定都市教育委員会教育長 殿
各都道府県知事 殿
附属学校を置く各国立大学法人学長 殿
文部科学省初等中等教育局長
銭谷 眞美
いじめにより児童生徒が自らその命を絶つという痛ましい事件が相次いで発生していることは、極めて遺憾であります。児童生徒が自らの命を絶つということは、理由の如何を問わずあってはならず、深刻に受け止めているところであります。
これらの事件では、子どもを守るべき学校・教職員の認識や対応に問題がある例や、自殺という最悪の事態に至った後の教育委員会の対応が不適切であった例が見られ、保護者をはじめ国民の信頼を著しく損なっています。
いじめは、決して許されないことであり、また、どの子どもにも、どの学校でも起こり得る ものでもあります。現にいま、いじめに苦しんでいる子どもたちのため、また、今回のような事件を二度と繰り返さないためにも、学校教育に携わるすべての関 係者一人ひとりが、改めてこの問題の重大性を認識し、いじめの兆候をいち早く把握して、迅速に対応する必要があります。また、いじめの問題が生じたとき は、その問題を隠さず、学校・教育委員会と家庭・地域が連携して、対処していくべきものと考えます。
ついては、各学校及び教育委員会におかれては、別添「いじめの問題への取組についてのチェックポイント」等も参考としつつ、いま一度総点検を実施するとともに、下記の事項に特にご留意の上、いじめへの取組について、更なる徹底を図るようお願いします。
なお、都道府県・指定都市教育委員会にあっては所管の学校及び域内の市区町村教育委員会等に対して、都道府県知事にあっては所轄の私立学校に対して、この趣旨について周知を図るとともに、適切な対応がなされるよう御指導をお願いします。
記
1 いじめの早期発見・早期対応について
(1) いじめは、「どの学校でも、どの子にも起こり得る」問題であることを十分認識すること。
日頃から、児童生徒等が発する危険信号を見逃さないようにして、いじめの早期発見に努めること。
スクールカウンセラーの活用などにより、学校等における相談機能を充実し、児童生徒の悩みを積極的に受け止めることができるような体制を整備すること。
(2) いじめが生じた際には、学級担任等の特定の教員が抱え込むことなく、学校全体で組織的に対応することが重要であること。学校内においては、校長のリーダーシップの下、教職員間の緊密な情報交換や共通理解を図り、一致協力して対応する体制で臨むこと。
(3) 事実関係の究明に当たっては、当事者だけでなく、保護者や友人関係等からの情報収集等を通じ、事実関係の把握を正確かつ迅速に行う必要があること。
なお、把握した児童生徒等の個人情報については、その取扱いに十分留意すること。
(4) いじめの問題については、学校のみで解決することに固執してはならないこと。学校においていじめを把握した場合には、速やかに保護者及び教育委員会に報告 し、適切な連携を図ること。保護者等からの訴えを受けた場合には、まず謙虚に耳を傾け、その上で、関係者全員で取組む姿勢が重要であること。
(5) 学校におけるいじめへの対処方針、指導計画等の情報については、日頃より、家庭や地域へ積極的に公表し、保護者や地域住民の理解を得るよう努めること。
実際にいじめが生じた際には、個人情報の取扱いに留意しつつ、正確な情報提供を行うことにより、保護者や地域住民の信頼を確保することが重要であり、事実を隠蔽するような対応は許されないこと。
2 いじめを許さない学校づくりについて
(1) 「いじめは人間として絶対に許されない」との意識を、学校教育全体を通じて、児童生徒一人一人に徹底すること。特に、いじめる児童生徒に対しては、出席停止等の措置も含め、毅然とした指導が必要であること。
また、いじめられている児童生徒については、学校が徹底して守り通すという姿勢を日頃から示すことが重要であること。
(2) いじめを許さない学校づくり、学級(ホームルーム)づくりを進める上では、児童生徒一人一人を大切にする教職員の意識や、日常的な態度が重要であること。
特に、教職員の言動が児童生徒に大きな影響力を持つことを十分認識し、いやしくも、教職員自身が児童生徒を傷つけたり、他の児童生徒によるいじめを助長したりすることがないようにすること。
(3) いじめが解決したと見られる場合でも、教職員の気づかないところで陰湿ないじめが続いていることも少なくないことを認識し、そのときの指導により解決したと即断することなく、継続して十分な注意を払い、折に触れて必要な指導を行うこと。
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さて、この通達に基き、文科省ではアンケート調査など、実態把握に乗り出している。
平成18年10月19日付18文科初代号文部科学省初等中等教育局長通知)等においてとあるから、上の通達に基づいて実施し、その結果について通知しているのだが、敬宮殿下のイジメ問題は入ってはいないようである。
しかし、「標記調査は、教育委員会及び公立諸学校を対象として行ったもの」であるが、「いじめの問題への取組の徹底は私立学校や国立学校においても当然求められるものであり」と、わざわざ付け足してあるところを見ると、「私立学校」のところで、敬宮殿下に関する怒涛のような報道が、少なからず影響していると思う。
下記の通達の宛名が「各都道府県私立学校主管課長殿」となっていて、「周知徹底されたい」と都道府県知事宛ての通達と違い、管轄の現場責任者へダイレクトに出されている。
学習院で敬宮殿下のことが問題になるより前、転校した子どものケースは、東京都の私立学校主管課長を通して、文科省に報告されていたか否か?
「いじめの問題への取組状況に関する緊急調査」結果について(通知)
「いじめの問題への取組状況に関する緊急調査」結果について(通知)
22初児生第50号
平成23年1月20日
各都道府県教育委員会指導事務主管課長殿
各指定都市教育委員会指導事務主管課長殿
各都道府県私立学校主管課長殿
附属学校を置く各国立大学法人の長殿
文部科学省初等中等教育局児童生徒課長
磯谷 桂介
「いじめの問題への取組状況に関する緊急調査」結果について(通知)
標記の調査について、このたび、調査結果を別添のとおり取りまとめましたので、送付します。
いじめの問題については、「いじめの実態把握及びいじめの問題への取組の徹底について」 (平成22年11月9日付け22文科初第1173号文部科学大臣政務官通知)、「『平成21年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』結 果について」(平成22年9月14日付け22初児生第25号文部科学省初等中等教育局児童生徒課長通知)、「いじめの問題への取組の徹底について」(平成 18年10月19日付け18文科初第711号文部科学省初等中等教育局長通知)等において、その実態把握や取組の徹底をお願いしてきたところですが、別添 調査結果のとおり、定期的な点検の実施やアンケート調査の実施などについて、一層の取組が求められる状況が見られました。
ついては、各学校や教育委員会において、下記の事項に御留意の上、いじめの問題への取組の更なる徹底を図るようお願いします。
なお、標記調査は、教育委員会及び公立諸学校を対象として行ったものですが、いじめの問題への取組の徹底は私立学校や国立学校においても当然求められるものであり、都道府県・指定都市教育委員会にあっては所管の学校及び域内の市区町 村教育委員会等に対し、都道府県にあっては所轄の私立学校に対し、国立大学法人にあっては附属学校に対して、この趣旨について周知徹底を図るようお願いします。
記
1.学校の取組について
各学校は、いじめの問題への取組について、それぞれの実情に応じた適切な点検項目に基づく定期的な点検を行い、点検結果を踏まえて取組の充実を図る必要がある。
点検は基本的に全教職員で行い、点検結果やこれに基づく課題について全教職員で共有する必要がある。
各学校は、定期的に児童生徒から直接状況を聞く手法として、「アンケート調査」を実施した上で、これに加えて、各学校の実情に応じて、個別面談、個人ノートや生活ノートの活用など、更に必要な取組を推進する必要がある。
各学校は、いじめの問題に関する校内研修等を通じて、いじめの問題の重大性を全教職員が認識し、指導上の留意点等について教職員間の共通理解を図り、校長を中心に一致協力体制を確立して実践に当たる必要がある。
週刊誌に出ていた東園理事や三浦初等科長は、とっくにこの一連の通達をご存知でしょうね?
一番の御表情の雅子様
2011/10/28 (Fri)
(三輪様 wrote)
皇太子妃時代の美智子さんのピンの写真はたくさんあるのですが、他の宮妃とご一緒のものは本当に「皆無」といっていいほどなんですよね。
香淳皇后陛下や秩父宮妃殿下、高松宮妃殿下などよくおしゃべりしておられる写真はあるのですが。
雅子妃殿下も楽しそうにお話しておられる写真がありますね。
お一人、孤立しておられるわけではない、とこういう写真を見るとホッとします。
ところで、三輪様の「顔相」のお話、眞子どんの記事の下にしておくのはもったいないので、記事にあげました。
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最近聞いたちょっとイイ話を。
高名な僧職の方と仏様のお顔についてお話しする機会があり、有名人の顔相に話が及びました。
40過ぎたら、持って生まれたものではなく、それまでの生き方や知性や人格すべてが顔に現れてくる。若い頃は見良かったのに、だんだんアカン顔になる例はいくらでもあるけど、その反対はなかなか無い。
貴重な良い例として、皇太子妃雅子様は(どの範囲でかは言われませんでしたが)一番と言って良いほど柔らかで気品のあるお顔をされている。お若い頃は、活 発さや知性の特別に秀でていたところや、外国育ちの雰囲気が強く出ていたが、今は、それらが全て上手く融合して菩薩様の様なたおやかな御表情をされてい る。このようなお辛い状況であってさえ輝いておられるのだから・・・ここさえ乗り越えられたら、どれ程のお方になられか・・
と仰ってました。
思えば、どれほど香淳皇太后様がイジメをなさると報道されても、皇室アルバムから伝わる映像では、いつも素敵な笑顔の良子皇后様で、イジメなんて子供心に信じていませんでした。
そして、こちらに伺うようになり、香淳皇太后様の真の御姿を教えて頂き、自分の目は確かだったと思っています。
今は、皇太子ご一家お三方が御そろいの映像からまさに春宮の温かみを感じます。
色々な問題が解決されて、雅子様愛子様に心からの笑顔が訪れる日が早いことを祈ってます。
沢山の方はじめまして 放送基準
2011/12/04 (Sun)
(ルビー様 wrote)
コメントではなく、管理人への私信として送ってくださる方がいらっしゃいます。
一部抜粋してみます。
「私は愛子様を拝見したことがあります。色白で華奢でにっこりと微笑まれます。
それよりも驚いたのは、その細いお体です。
テレビや雑誌では大きく見えますが、私のまわりには小学生がいないので『小学4年生ってこんなに小さいんだ』とびっくりしました。
そしてこんなに小さな少女を沢山の大人たちがテレビや雑誌で毎日のように叩いていることに悲しくなってしまいました。
本当に胸を締め付けられる思いです。
マスコミは本当に残酷です。」
ここに寄せられるいくつかの投稿の中にも、それぞれに考えるべき問題点があり、特にマスコミは社会的な影響力も大きく見過ごせないものがあると思います。
その一つとして、ルビー様の「放送基準」を記事として揚げさせて頂きました。
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一昨日、昨日、今日と、新しい方が増えています。
初めましての方、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
今の皇室をめぐる言論は、どんなに屁理屈をこねても筋が通っていないし、
公正な内容ではありません。
ある勢力がいて、自分たちの利益を導くために、秋篠宮派閥というようなものを御輿にしていると考えれば、すっきり説明が付くことばかりです。
日本には、児童虐待を知った人が、それを見過ごしてはならない「通報の義務」というものがあります。例えば、隣の家から、子どもを殴る音と泣き声が聞こえているのに、面倒だからと知らないふりをするのは罪なのです。
それと同じように、非道なマズコミが、年端もいかない愛子様の事を隅々まで調べ、病気入院中の食事のことまであげつらって批判したり、民間人の小和田家の人達がやってもいないことをやったと騒ぎ立てたりしているのを、見て見ぬふりをし続けるの は、罪なのではないでしょうか。
私達日本人は、我慢という美徳がありますが、我慢してはいけないときもあると思います。
と言って、いきなりデモ行進をするとかは、そこまではと思うわけですが、皆さんがされているように、メールや郵便での抗議は、絶対にやり続けなければいけないと思います。
「たかじんのそこまで言って委員会」は、番組提供スポンサーのない番組なんですね。つま り、いろいろな企業のCMをその時その時で流している、「スポットCM」という方法のみで成り立っています。そこで、あの番組をやっているのだから、読売 テレビの確信的な行いと思います。
テレビ番組は、放送局が国から免許を得て放送をしているので、週刊誌よりもずっと厳しい審査対象になります。
具体的には、放送基準にのっとらなければ、免許剥奪になるはずなのです。
放送基準
読売テレビが自ら書いている放送基準の内容の抜粋ですが、
次の基準は、番組および広告などすべての放送に適用する。
第1章:人権
(1) 人命を軽視するような取り扱いはしない。
(2) 個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。
(3) 個人情報の取り扱いには十分注意し、プライバシーを侵すような取り扱いはしない。
(4) 人身売買および売春・買春は肯定的に取り扱わない。
(5) 人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない。
「たかじんのそこまで言って委員会」は完全に逸脱していると思います。
巧言令色鮮矣仁 剛毅木訥近仁 文質彬彬 然後君子 博学於文 約之以礼
2011/12/06 (Tue)
――巧言令色、鮮なし仁。(巧言令色鮮矣仁。)(「論語」学而篇・陽貨篇)
――巧言令色、鮮なし仁。(巧言令色鮮矣仁。)(「論語」学而篇・陽貨篇)
というのは、孔子の言葉で、「口先が巧みで、角のない表情をするも
のに、誠実な人間はほとんどない」という意味である。
これを裏返して、孔子はまた、
――剛毅木訥、仁に近し。(剛毅木訥近仁。)(「論語」子路篇)
すなわち、「剛毅で飾らぬ人間は、(誠実なのだから)完成した徳をそ
なえたものに近い」とも言っている。利己的な打算がなければ《飾る》
必要がないのだから、当然《木訥》になるであろうし、みずから正しい
と信ずるものの前には、その生命さえ惜しまぬなら、当然《剛毅》にな
るであろう。しかし、このような人間でも、《仁》(完成した徳をそな
えた人間)そのものではない。
孔子は、
――文質彬々として、然る後に君子なり。(文質彬彬、然後君子。)
(「論語」雍也篇)
とあるように、文(形式)と質(実質)とが彬々として(調和して)いるこ
とを、君子(徳をそなえた人間)の条件としていたのである。
だから、弟子たちには、
――博く文を学び、之を約するに礼を以てす。
(博学於文、約之以礼。)(「論語」雍也篇・顔淵篇)
と、多方面に文(ここでは学問すなわち実質)を学び、それを礼(形式)
で整理統制することを強調しているのだ。決して剛毅木訥という荒削り
な態度を薦めているわけではない。
しかし、その剛毅木訥を推称しているかに見えるほど、孔子は、巧言
令色の徒を憎んでいた。
その増悪は、
――その之を言うてハジざれば、則ち之を為すや難し。
(其言之不zuo<立心偏+乍>、則為之也難。)(「論語」憲問篇)
(臆面もなくものを言うような奴には、到底実行はできぬものだ。)
と言う痛烈な言葉を吐かしているほどである。孔子は何よりも、巧言
や令色によって、他人を瞞着する、その狡猾さを憎んだのだ。
にゃるほど
2011/12/12 (Mon)
女性皇族について、天皇皇后はどういう考え方なのか
女性皇族について、天皇皇后はどういう考え方なのかな?と思い、宮内庁のHPで探してみました。
平成17年 天皇陛下
問3 皇室典範に関する有識者会議が,「女性・女系天皇」容認の方針を打ち出しました。実現すれば皇室の伝統の一大転換となります。陛下は,これまで皇室の中で 女性が果たしてきた役割を含め,皇室の伝統とその将来についてどのようにお考えになっているかお聞かせください。
天皇陛下
皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思いますが,皇室典範との関係で皇室の伝統とその将来についてという質問に関しては,回答を控えようと思います。
私の皇室に対する考え方は,天皇及び皇族は,国民と苦楽を共にすることに努め,国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが,皇室の在り方として望ましいということであり,またこの在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。
女性皇族の存在は,実質的な仕事に加え,公的な場においても私的な場においても,その場の空気に優しさと温かさを与え,人々の善意や勇気に働きかけるという,非常に良い要素を含んでいると感じています。その意味でも皇太子妃の健康が現在徐々に快方に向かっていることは喜ばしく,一層の回復を待ち望んでいます。
平成14年 皇后陛下
これからの女性皇族に何を望むかという質問ですが,人は皆個性を持っていることであり,どなたに対しても類型的な皇族像を求めるべきではないと思います。それぞれの方らしく,御自分の求める女性像を,時と思いをかけて完成していっていただくことが望ましいのではないでしょうか。そして皇室の長い 間のしきたりであり,また,日本人のしきたりでもある御先祖のお祀りを皆して大切にし,これまでどおり,それぞれのなさり方で陛下をお支えになって下され ば,私は大層心強く思います。
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キコさんの文章は論外だけど、皇后陛下のも気持ち悪いなぁとは思っていました。
でも自分にその知識がないので、なにがどうなのかということはわからなかったのです。
でも、寒椿様の添削で納得いたしました。
また先般、雅子妃殿下のお誕生日の回答文書を拝見し、なんとスッキリと頭のいい文章かと思いましたが、違いはこれなのですね>統一文体か砂利文体か
国語のお勉強として載せちゃいましたw
添削(寒椿様 wrote)
赤字が美智子皇后
人は皆個性を持っていることであり、どなたに対しても類型的な皇族像を求めるべきではないと思います。
人は皆個性を持っている「もの」であり,「誰」に対しても類型的な皇族像を求めるべきではないと思います。
それぞれの方らしく, 御自分の求める女性像を
それぞれの「人」らしく,「自身」の求める女性像を,
時と思いをかけて完成していっていただくことが望ましいのではないでしょうか。
時と思いをかけて完成して「いく」ことが 望ましいのではないでしょうか。
そして皇室の長い間のしきたりであり, また,日本人のしきたりでもある御先祖のお祀りを
そして皇室の長い「削除」しきたりであり,また,日本人のしきたりでもある「削除」先祖のお祀りを
皆して大切にし,これまでどおり,それぞれのなさり方で陛下をお支えになって下されば,
皆「で」大切にし,これまでどおり,それぞれの「方法」で陛下を「削除」支え「て」下さ「るのであれば」,
私は大層心強く思います。
私は大「へん」心強く思います。
この方、婚約会見の時から、尊敬・謙譲・丁寧語を同時に使うおかしな話し方でしたけど。
週刊誌に掲載されて平気な「ラブレター」にも、交錯のことを「交しゃく」と書いていましたが、本当に勉強をまじめになさっていたんでしょうか。
。
女性宮家」是非を問う 皇位継承・女系天皇との関係
2012/04/24 (Tue)
BSフジ
「実況中継」 所先生、三笠宮家、高円宮家を残すお話をしておられるわ。
百地先生、黒田清子さんを何度も例に出して、選びに選んだサーヤの映像がBACKに。
百地先生、旧皇族復帰について、顔を赤くしてはしゃぎすぎ。
所先生、旧皇族も女系で天皇に繋がっていることを指摘。GHQに無理に臣籍降下させられたことは肯定。
百地先生、「皇太子さまだって、愛子さまが降嫁されることを前提に教育されている、そう言っておられる」
所先生〆「皇統の永続 君民の分義」百地先生〆「皇室の伝統と尊厳の護持」
お嬢さまと呼ばれたい!!
2012/02/29 (Wed)
キコさんが歩んだプリンセスロード
この「お嬢さまと呼ばれたい!!」は、どうやら生まれついてのお嬢さまでなくても「お嬢さまになれますよ」のノウハウ本のようで、紀子さんが美智子さんの真似をするごとく、紀子さんの真似をすればいいですよ、という構成になっている。
それで、美智子さんが戦前の本物のお姫様の真似をしなかったことを「宮廷革命」と位置づけて、マンセーしているところを見ると、美智子さんこそ「元祖本物のお嬢さま」ということなんであろう。
美智子様には二つの大きなハンディがあった。ひとつは平民出身であること。もうひとつは聖心出身であること。かぞくと学習院だけの世界である皇室のなかで、この二つの点は”美智子妃イジメ”となってはねかえってきた。「可愛げがない」「平民出身のくせに宮中のしきたりに従わない」と事あるごとに女官や宮家の指弾にあい、「学習院でないから仕方がない」ともいわれたという。
私見ですが、美智子さんのお輿入れ近辺の写真は「可愛げがない」よw
美智子妃イジメは、お妃教育のときから始まったといわれる。
当時の皇室関係者が明かすことに、こんなことがある。
「お妃教育係になった松平信子さんは、秩父宮妃の母君で昭和天皇の義妹にあたる方。当時、松平さんは東宮職参与でしたが、女性は口が軽いからと最後まで皇太子妃に美智子様が決まったと知らされなかった。知らされたのは発表の3日ほど前で、そのとき松平さんは、当時の侍従や小泉信三さんに向かい、『責任はすべてあなた方にあるんですからね』と憤慨して、職を辞してしまったんです。
そんないきさつがあった方が美智子さまのお妃教育係になり、その方から、皇室のしきたりを学ばれたんですから、美智子さんの苦労は並大抵ではなかったんです。
皇太子妃になってからも、有名なエピソードに帽子事件があった。
「あるとき、高松宮妃殿下が美智子さまの帽子が曲がっていると、少し直して差し上げたところが、美智子様は、5分もたたないうちにそれを元通りに直してしまったので、高松宮妃殿下は『もう二度と、何も教えてあげない』と激怒されたんです」
美智子様は聡明な女性だった。そして聡明な女性が常に持つ気の強さがあった。
なんかムチャクチャな文章です。
昭和天皇の義妹にあたる方が「皇室のしきたり」を教えてくれる係になったら、いくら嫌な人でも「しきたり」については、普通従うんでないかなぁ?
でも「平民出身のくせに宮中のしきたりに従わない」と言われたんだよね。
松平さんがウソを教えたとでも?
曲がっているからと帽子をなおしてくれた高松宮妃、でも美智子さんはすぐまた元に戻したんだよね。
高松宮妃が曲がってもいない帽子をわざと直すふりをして、よけいに曲げたとでも?
それを「美智子様は聡明な女性だった。そして聡明な女性が常に持つ気の強さがあった。」と褒めるのはどうかと思うけど。
美智子さんって何でも人を悪く取るのね、と普通は思っちゃうよ。
もっとも松平さんは「気に入らないからではすまされない、皇太子妃に恥をかかせるわけにはいかないから、必死でお教えしましたわよ」と語っておられるけれどね。
対極に香淳さまの帽子のエピソードがある。
ヨーロッパへ行かれることになった(香淳)皇后さま。出発前のご挨拶にやってきた帽子デザイナーの市瀬?さんにお会いになった。
よくお似合いになっていて嬉しかった、と同時に、似合っていると褒められた皇后さまも嬉しそうだったと。
そのデザイナーさん、「よくお似合いだけれども、この帽子はこの角度が一番美しく見えます」とちょっと微調整してさしあげたら、皇后さまはそれから出発までの数時間、ずっとそのままでいらしたそうだ。香淳さま、68歳。
さて、次、
ところがそこに突如起こったのが聖書騒動だった。
昭和37、38年のこと、常陸宮様がまだ義宮様の時代、
(中略)
この当時が、美智子さまの最もどん底の時代であった。葉山の御用邸にこもって物思いにふけり、一日中口もきかない日もあったといわれている。
しかし、美智子様は立ち直られる。旧態依然たるしきたりは、自分の力、自分の家族で変えていくしかない、と決意されたのだ。
まもなく、現在の皇太子浩宮さまが誕生すると、美智子さまの「宮廷改革」は着手された。
「皇位を継ぐ皇太子の誕生は美智子さまに勇気を与えたんです。皇后や直宮妃、女官という皇室の女の世界のなかで、やはり後継ぎに恵まれたということは、力関係を変えていきます」と、皇室関係者。
おいおい、いい加減だね。
昭和37~38年に聖書騒動があって、美智子さんは葉山にこもって、その後立ち直り、浩宮様が出来たので、力を取り戻し「宮廷改革」を自分の家族から始めた、ということになるけど、
浩宮様がお生まれになったのは昭和35年2月23日です。
この美智子さんが昭和天皇の前で土下座して謝ったという聖書事件は、橋本明が書いてるけど、昭和天皇は後に全否定されているんだよね。
「そんなことがあったことなども知らなかった、美智子を呼びつけて謝らせたことなどない」
ただ、
「皇位を継ぐ皇太子の誕生は美智子さまに勇気を与えたんです。皇后や直宮妃、女官という皇室の女の世界のなかで、やはり後継ぎに恵まれたということは、力関係を変えていきます」
これは、真実だと思うわ。
現に今、目の前で、女の子しかいない平成の皇太子妃イジメが繰り広げられてるから。