公務はここから始まった
2011/01/07 (Fri) 写真館 お姿比較
お姿比較
昭和天皇は何にもない河川敷にほんとに穴掘って松の木を植えてるんだね。
私の住む県で植樹祭があった時、会場に決まった場所の木を切ることから始まった。
広い場所に芝生がしきつめられ、ステージが作られ、広場を横切る浅い川も作られた。
イベント屋が大型スクリーンを運んできて、ステージの横に据えた。
当日両陛下が植えられた(ふりをした)木は、即引っこ抜かれて別の場所に植えられた。
(何でも枯れちゃって2代目だか3代目だかだそうだ)
皇太子様が「公務の見直し」をおっしゃった時、最初に思い出した。
妻の手
母と娘
ご養蚕
2011/01/29 (Sat)
香淳さまの「一生懸命さ」
何となくわかる違い。
それはカメラを意識しているかしていないか、かしら?
美智子皇后の写真は宮内庁がHPで提供しているものです。
まぁ、皇居の看板女優ですから、それなりの写真を使ったとは思うのですが、香淳さまの「一生懸命さ」が可愛らしく見えます。
しっかし、一口に「養蚕」と言ってもすごい作業ですね。
ほんとに「お蚕さん」におまんまを食べさせてるって感じがひしひしと伝わってきます(香淳様の方ね)
平成の御代は、養蚕も儀式化されてるのかしら?
鯰君、ピアノに寄っかかってはいけません。
2011/01/29 (Sat)
職人さんが時間をかけて蘇らせた香淳様のピアノ
皇后さまのピアノが手入れもされなくて放置されていたのを、職人さんが時間をかけて蘇らせたという報道を見た事あります。
その後どうなっているのでしょうか?
ピアノに造詣の深い美智子皇后の庇護のもと、手入れだけでもされているでしょうか。
国営昭和記念公園 昭和天皇記念館 展示中
天皇と皇太子様は一生懸命ですが、しかし、よっぽどつまんないんですね、アーヤの顔がどっちらけです。
一人ご満悦ふうなのが美智子様。
大変だね
2011/01/30 (Sun)
お稽古
敬宮様はご両親が本当に敬宮様のためになるように、熟慮の上でお稽古を選んでらっしゃるのがわかる。
しかも習わせるだけでなくて、飽きないように(ほら子供ってすぐ飽きるじゃない?)工夫して手を貸してらっしゃるし、やり出したら上手に手を引いてらっしゃるし。
だから、今現在の登校のお付き添いも、やみくもに甘くしていらっしゃるわけではないと推測できるわけ。
敬宮様、お習字の時もお洋服を汚さないように可愛いエプロンをつけてらっしゃる♪
庶民には「ご愛嬌」というものがあるんだけど、それでは許されないのかしらね。
鯰君、泣きそうな顔してるw
むしろサーヤが自分も弾きたそう。
明治神宮ご参拝
2011/01/29 (Sat)
無類の動物好き
香淳皇后様はどうも無類の動物好きのようなんだけど。
で、本当なら厳粛なご参拝の途中でも、鳩なんか見つけてよそ見してる。
(チョッ、惚れちゃいそうだぜ)
アーヤの動物好きは「お祖母様ゆずり」ってアピしても良かったと思うんだが、どうしても学問の方へ持って行きたかったのはどうしてカナ?
美智子皇后 明治神宮ご鎮座60年祭にあたり 御歌
「みちのくも筑紫の果ても成りましぬ 道難(かた)かりしかの御代にして」
敬宮愛子さま
敬宮愛子さま、何度見てもお可愛らしい
2011/01/29 (Sat)
敬宮様を見つめる眼差し
美智子さんとサーヤ、雅子様と愛子様、
何の違いなのかなぁ?
豊かさが違うんだなぁ。
ママがわが子を見て「幸せ♪」という顔をしていないんだな。
微笑んでいるけれども。
美智子さんは「皇太子様に、温かい家庭を作ってさしあげたくて」結婚した。
雅子様は「(プロポーズを)お受けいたしますからには、殿下にお幸せになって頂けるようにそして私自身も自分で良い人生だったとふりかえれるように、そのような人生になるように努力したい」
私は敬宮様がお生まれになった時、雅子様が「生まれてきてありがとう」と言って涙ぐまれたのにもグッと来たけれども、この婚約会見で「私自身も幸せになる」という言葉に、惚れてしまったわ。
敬宮様を見つめる眼差しにふと思い出しました。
秩父さん
2011/05/17 (Tue)
「秩父宮待望論」
保阪正康が、秩父宮のことを書いていて、ふと天皇の弟君ということで、秋篠宮のことを書く気になったと、「秋篠宮が天皇になる日」について言い訳していた。
あんな立派な昭和天皇にさえ「秩父宮待望論」というのがあったくらい人気の宮様で、鯰なんかと並べるのもおこがましいと思うのだが、同じくらいの年頃で並べてみた。
鯰殿下の方はこの後、オックスフォードへ行くのかな?
秩父宮はオックスフォードへ留学して、1学期が済んだところで、父君の大正天皇が崩御され(昭和天皇のお見舞いと称して、キコさんに会うために、たびたび オックスフォードから逃げてきていた鯰とは違う)、急遽帰国されたのだが、その途中のワシントンで、未来のお妃勢津子妃に会っている。
当時アメリカ大使だった勢津子妃の父君松平大使が殿下をお出迎えしている。
しかし、皇位継承第2位の立場なのに、恥ずかしくないかね?
保坂もよくまぁいけしゃぁしゃぁと書いたもんだ。
秩父宮様はちょっと高円宮様に似ている。
戦前の上流社会の子女教育
2011/05/23 (Mon)
ハイクラスな勢津子姫
美智子さんの母親、正田富美さんは賢夫人として、美智子さんと同じくらい話題になり、理想的な母親として持ち上げられていたけれども、「うちは華族の方にも引けを取らないくらいに娘を育ててきた」というようなことを曰わったらしい。
もし本当にそう仰ったのなら、上流階級の子女教育をあまり知らないと言えるんじゃないの?
と言っても、こちらもずっと後で本や映像で知るのみだけれども、教養として当然身につけていなくてはいけない世界にいる人間と、「あそこのお嬢さんはピアノを習っているみたいよ」と近所から羨ましがられるおうちの差は、かなりあると思う。
勢津子様のお父上は外交官です。
東大法科を卒業、外交官試験に合格、英大使館・支那公使館書記官・天津総領事を歴任、シベリア共同出兵当時、ウラジオ派遣軍の政務官長として派遣され、そ の手腕が認められ、欧米局長、ワシントン会議では全権随員の事務総長の職に当たり、帰朝後は外務次官、特命全権大使に任じられます。
名大使と言われたそうですよ。
日本は新興国だったから外交はリキが入っていたと思う。
最初は天津の日本人学校に入学され、成績が良かったけれども、どうも学校が今ひとつというので、一人東京へ帰られて女子学習院へ入り直されるんですね。
で、前期(4年)中期(4年)後期(3年)と進まれ、あと1年で卒業という時に、中途退学してお父様について渡米され、ワシントンの名流の令嬢たちが行くフレンド・スクールに通われるわけですが、そこの卒業式が下の写真。
その左は美智子さんが聖心を卒業された時のものです。
昔は、美智子さんの写真を見て「ハイカラ!」と思ったものですがw、勢津子姫はもう2つ3つハイクラスって感じがします。
今上陛下の席次と秩父宮殿下の席次
2012/05/16 (Wed)
(ウィルヘルミナ様 wrote)

「どのマスコミも、今上陛下を慮って報じないけれど、このエリザベス女王戴冠式での席次は16~20番目だったと思います。私の記憶に間違いなければ・・・・・・。
しかし、その17年前のあの「英国王のスピーチ」で有名になったジョージ6世の戴冠式に出席された故秩父宮殿下(故勢津子妃殿下も同行)の戴冠式での席次は首席でした。どの行事も首席だったのです。
当時、日英関係は微妙な時期を迎えていたのですけど、英国側は秩父宮両殿下を首席として接してくれました。
ちなみに、この時の様子を、当時英国大使だった吉田茂氏夫人の雪子さんが以下の本で詳細に書かれています。
吉田雪子著・長岡祥三編訳「ジョージ6世戴冠式と秩父宮」(新人物往来社、1996年刊)
この本は英語で書かれ1938年に英国で初版が発行されている。
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いつも思いがけない観点からの本のご紹介、有難うございます。
なるほど、写真で見る限り、あんまりいいお席ではないようですねw
世界が日本をどう見ているか、こんなところでわかるんですね。
もっとも敗戦からいくらもたっていないこの時期の明仁皇太子の英国行きについては、秩父宮様の人脈が生かされたのですよね。
おかげで明仁皇太子は、みじめな目にあわないですんだと「天皇への道」など複数の本に書かれています。
今上陛下は、それを足がかりにどんな人脈を築いてこられたのか知りたいです。
(いつも並んでる写真だけなので)
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両親は共働き
2011/01/29 (Sat)
「ひと日を重ねて」
サーヤは「ひと日を重ねて」の中でこう書いています。
「物心ついた頃から、いわゆる両親が共働きの生活の中にあり、・・・」
まぁ、そうかい?というよりしょうがないけど、共働きの顔じゃないよね、美智子さん。
美智子妃にしては、妙に不安げな一枚。
結婚前の方がなんか自信に満ち溢れていたような気がします。
もっとも浩宮様がお生まれになってからは、どんどん自信をつけられ、キリっとお綺麗になられました。
雅子様は・・・そうですね、美智子様がジェラシーを感じられたのもむべなるかな。
花嫁の父
娘が嫁ぐ日
お雛様の顔
2011/01/29 (Sat)
良子様に一番似ておいでかな?
ガーネット様のご意見に触発されて、8月11日那須塩原駅に降りられた敬宮殿下のお写真を使って、探してみました。
やはり、良子様に一番似ておいでかな?という気がします。
香淳様がお若い日、バイオリンを弾いていらっしゃる御写真がありますので、いつか敬宮殿下がバイオリンを弾いておられる御姿が報道されるのを、首を長くして待っています。
花のかんばせ、白魚のゆび
2011/08/23 (Tue)
香淳さまの「一生懸命さ」
>本当に、よく似ておいでです。
>お指の形まで似ているような。
またまたガーネット様のご発言にポンっと手を打ちました。
そうなんです。
お写真を選んだ時、指が非常によく似ておいでだった。
香淳さまはとても勉強家で、スポーツにも秀で、芸術的なセンスもお持ちでした。
敬宮殿下も同じ、このお二人の手が似ているのはお血筋だけではないように思います。
観相学というのがありますが、手も何ほどか、その人となりを語っているように思えてなりません。
香淳皇后陛下と敬宮殿下の指は、細くて長くて先にいくほど細くなっていますが、一番右のお二方、血の繋がりはないですが、非常によく似た手をしておられます。
指の先が太いのが特徴でしょうか、香淳皇后陛下の扇を持たれた指に比べると「ゴツイ」感じがするのは、そのせいのような気がします。
性格も・・・似た所がありました・・・よね、平成の皇后と将来の天皇のおっかさんは?
よういに敗けざるもの多かりき
2011/08/24 (Wed)
<香淳皇后陛下 小学科6年当時の日記>
「終わりには女子もなぎなたにて勇ましく男子と試合して
よういに敗けざるもの多かりき
かく女子にても ある場合には 精神こめてすれば
男子にも劣らざれば 私もその心懸にならねばならぬ」
お姫様は「男だから」という理由で、男子を立てるべきとは、お考えになっておられぬようです。
樹齢何年くらい?
2011/09/08 (Thu)
「時の権力」
>管理人さんとこの紅葉も古そうだけど樹齢何年くらい?
さぁ、ねぇ・・・(と、年がバレるからとぼける)。
樹の肌はもうちょっと白っぽくて、小じわが寄った感じなので、種類が違うと思う・・・(と、情報撹乱)。
ここの庭は、紅葉山だけではなく、飛鳥山の桜(枯れちゃったけどね)とか、石を組み合わせてちょろちょろ水を流し、王子の滝、とかいわゆるお江戸の名所を模してあるそうだ。
姑の話では、先代の自慢の庭だったそうで、奥さん(姑の姑)も、こんな田舎にもかかわらず、ツーンとすまして東京言葉をしゃべるので(生まれも育ちもこっちの在ですだ)、近所の人から「箱根知らずの江戸言葉」と揶揄されたそうである。
どんなに東京に憧れたのかと、おかしいほどだ。
千代田のお城は、オフ会でちらっと見てきたが、シンノーさんのお遊びの写真を見て、こんな大木が根を張り、枝を広げているのかと思うと、時の権力の蓄積の大きさを、改めて実感する。
前にも書いたが、東宮御所の御門も拝してきた。
「時の権力」と言う観点からすると、えらくこじんまりと静かで、皇居二重橋から見る広さから受ける威容のイメージには遠く、「おまえははまだ『仮』なんだからね、おとなしくしてな」と、頭を抑えられているようだ。
皇太子家と秋篠宮家のそれぞれの子の木登り写真を比較してみると、キコさんの「将来の天皇」のイメージが、やはり「時の権力」にあるのではないか、と言う気がする。
「天皇は国民の象徴」であるとか、「皇室財産は昭和22年に国有財産として国庫に納められた」とか、そういう歴史的な事実は、むしろどうでもいいのであろう。
徳川家康が幕府を開き、明治政府が天皇を東京へお迎えし、最高権力者の顔ぶれはさまざまに替わっても、千代田のお城は、その幾星霜の残滓が色濃く香るのかも知れない。
シンノーさんを見上げながら「将来、ここのもの全てがあなたのものになるのよ」と言ってそうだ。
少なくとも、何百年と年輪の数を増やしてきた樹木を見ても、何百年と変わらぬ松籟を耳にしても、「兵どもが 夢の跡」とは、決してお感じにならぬお方であることは、わ・か・るw
敬宮殿下をしっかりと枝につかまらせて(東宮御所のお庭に生えている木かな?)、楽しそうに、しかしさりげなくお手を添えられているご夫妻のお姿を見る と、秋篠宮家に「♂」の子が生まれても、「男系」だの「女系」だの、典範改正については、全然意識なく、ただ敬宮殿下に対する愛情あるのみ。
そして、また、みごと印籠印のお子を産んだキコさんの奮闘も、もとから、そういう「制度」の話ではなかったような気がする。
さーて、週刊誌買ってこよう!
私はお手振り出来たのよ(いばりっ)
2011/09/30 (Fri)
華子様
ウィルへルミナ様が、新潮に華子様のお写真が載っていることを教えて下さいました。
おぉぉぉ、知らずにいましたので、危うく捨てるところでございました。
ウィルへルミナ様、有難うございました。
キコさんが、なぜ筆頭宮家のお妃様でいらした華子様をお手本にしないのか、不思議に思っていましたが、なるほどなるほど、お手振り、ご挨拶などを、皇族の 最重要項と位置づけているキコさんですから、お手振りみたいなもん、結婚する前からチャッチャとできちゃったアタシ、出来ない人なんか用はないわ、ってこ となんでしょうね。
しっかし、キコさんて、どこまでも人垣より、トタンがついて回る人ですね。
上品な笑い方、さて、どっち?
加冠の儀
2011/12/29 (Thu)
加冠の儀の装束は2つ
訂正です。
>鯰は黄色は着せてもらえなかった。
と書いたのですが、どうやら加冠の儀の装束は2つあったようで、黄色と黒と両方ありました。
やっぱり「将来の天皇」ということで、ニュースなどの扱いに差があったのでしょうか?
アーヤの加冠の儀の記憶は全然ないわ。
それが鯰殿下としては、気に入らなかった?
今、やっきになっているのは、あの頃の「しょーらいのてんのー」のトラウマかしら?
でも言っちゃァ悪いけど、鯰20歳、大学生でしょ。
この頃の鯰は評判悪かったですよ。
派手で遊び好きで勉強嫌い、で有名だった。
週刊誌もこの宮様の派手なチェックのズボン(あの頃はこう言いました)とか金のジャラジャラブレスレットとかマッシュルームカットもどきとか載せてたし、本人もいいつもりなのが丸わかりの表情だった。
兄貴はダサいと公言してはばからなかったような記憶があるわ。
あの頃の私の周りの大人たちは(田舎だったから)「あすびにん(遊び人)」と露骨に嫌な顔をして、褒める人はいなかったわ。
次男だから責任感ないのも仕方ないか、みたいなところはあったわね。
執務中の天皇陛下
2012/01/07 (Sat)
皇室写真の見せ方が違う
昭和と平成では皇室写真の見せ方が違うというか…平成は露出が多いけど肝心のところは閉ざしてしまっているという気がします。
皇后陛下のご養蚕もそうだけれども。
本質は何も変わっておりませぬ
2012/01/15 (Sun)
香淳さまの「一生懸命さ」
ルビー様から美智子皇太子妃時代の初等科低学年のお母様方の遠足お付き添いの画像をいただきました。
雅子妃殿下のお洋服が、当時のお母様方と全然変わってないのにびっくり。
そう言えば、遠足の服装は、今も昔も「動きやすい服装であること」でした。
若き日の手蹟:三人揃い踏み
2012/03/05 (Mon)
香淳さまの「一生懸命さ」
自分は字が下手なので、あんまりどうこう言えないけれども、さすがに雅子さまはダントツお上手。
文章からは、紀子さんのオツムの中身がドスンと劣っているのはわかるw
今日、陛下は退院されたけれども、鯰と狐の夫婦に序列を守らせたという美智子皇后の美談は、あっという間にひっくり返されて、また元の木阿弥である。
「御所では秋篠宮ご夫妻や長男の悠仁さまが待ち受け、天皇陛下に会われたということです。」≪NHK≫
「天皇・皇后両陛下は、お住まいの御所で秋篠宮ご夫妻と悠仁さまのお出迎えを受けられた。」≪NNN≫
「およそ2週間ぶりに御所に戻られましたが、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまがひと足先に駆けつけ、御所で出迎えられました。」≪JNN≫
「御所で4日、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまの出迎えを受けた陛下は、非常ににこやかで(以下略)」≪FNN≫
「御所では職員のほか、秋篠宮ご夫妻や悠仁さまが出迎え、陛下はにこやかに車から降りられたということです。」≪ANN≫
「4日夜、お住まいの皇居・御所では、秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま(5)、陛下の長女・黒田清子さん(42)らが出迎え、退院を祝ったという。」≪毎日新聞≫
よっぽど雅子さまの後にされたのが腹たったのか、「負けへんでー!」とばかりにw主のいない御所に入り込んで、「お帰りなさい」とやってのけたらしい。
女性宮家の候補にめでたく入れてもらうことになっているサーヤも 、すでに内定をとっているのか、晴れ晴れと合流。
もう、ホント、あからさまだね。
先週の文春に雅子さまのお見舞いについて、「天皇からの思し召しがないと、行きたくても行けない」という下りがあったが、先に皇太子の顔を立てておいて、ぶんむくれた気に入りの嫁には「そう、怒るな、退院の日は先に御所で待ってておくれ」とささやいたのか?
天皇の思し召しが「狐+子鯰with鯰+サーヤ」にあってのことなら、皇太子一家をハブっている首謀者は天皇ということになり、女性宮家創設話も「気に入りの子たちのためだけの」出来レースということになる。
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ところで、今日、紀子さん世代の子が遊びに来たので、「紀子さんブームってあった?」と聞いてみた。
やっぱり「あった」そうだ。
ミッチー・ブームのように、主人公と同じ世代に影響を及ぼした、というのではなく、男の中にブームを起こしたのだそうだ。
団塊の世代とそのちょっと上、さらに条件がもう一つつく、
「田舎の中年サラリーマン」
彼女はリアルで耳にしていたそうだ。
「ああいう、パー(ママ)なところがいいんだよな」
「そうそう、結局、難しい話になると女は理解できないんだから、中途半端に出来ても仕方がないんだよ」
この彼女に紀子さんの礼状について意見を求めたらこう言った。
「一般の女性は、もっとまともな礼状は書けるけど、この爺ちゃんたちは一般女性には「龍神の水」はくれない。よって、爺ちゃんたちは、いつまでたってもまともな礼状をもらえないってわけさ。」
そりゃそうだ。
アーヤが一緒でなければ、じいちゃんたちは紀子さんに龍神の水はくれなかったろうから、紀子さんは身銭を切るかわりに、オツムの中身をさらさずにすんだ。
もっとも、えらい自信があるみたいで、晒されることが快感な感じだから、言うに及ばずか。
時は残酷、とは言うものの・・・
2012/03/13 (Tue)
ご両人とも77歳。
美智子皇后喜寿、さて香淳皇后さまはどんな御顔だったのか、探してみました。
いつも笑ってらっしゃったそうで、にこやかに笑まれるお写真ばかり。
比較的、笑っておられないお写真を見つけました。
ご両人とも77歳。
来し方が・・・出ますね。
どちらの皇后も77歳
2012/03/13 (Tue)
お姿比較
こっちだと美智子さんの方が若くみえるかな?
香淳さまは肌クリームを塗って、お粉をポンポンとはたき、口紅を塗るだけの簡単化粧だったらしいです。
でもとても白くてキメ細かいお肌だったとか。