香淳さまの古希を祝う会
2011/11/23 (Wed)
吉岡専造氏の撮影日記より
美智子皇后陛下お誕生日
天皇皇后両陛下 祝賀及びお祝酒(侍従長始め侍従職職員)(御所)
天皇陛下 祝賀(長官,次長(総代),参与)(宮殿)
皇后陛下 祝賀(長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛)(宮殿)
皇后陛下 祝賀(宮内庁職員及び皇宮警察本部職員)(宮殿)
皇后陛下 祝賀(内閣総理大臣始め三権の長他)(宮殿)
天皇皇后両陛下 祝賀(皇太子同妃お始め皇族各殿下)(宮殿)
天皇皇后両陛下 ご祝宴(皇太子殿下お始め皇族各殿下,元皇族,ご親族)(宮殿)
皇后陛下 祝賀(旧奉仕者会会員)(宮殿)
天皇皇后両陛下 茶会(元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿)
天皇皇后両陛下 茶会(ご進講者始めご関係者)(御所)
天皇皇后両陛下 祝賀(愛子内親王殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下,悠仁親王殿下)(御所)
天皇皇后両陛下 お祝御膳(皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下,黒田様ご夫妻)(御所)
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美智子皇后はどうして香淳さまのようなお祝いの会が出来ないのかね?
福引の品は皆様の持ち寄りで、とにかく笑いが絶えなかったらしい。
吉岡専造氏の撮影日記より
当日は「春秋の間」で荻江露友(前田青邨画伯夫人)さんの荻江節、三遊亭円生の落語「御神酒徳利」を聞かれて、午後4時頃から「連翠」でパーティーということなので、3時に宮中に行く。「月の間」でしばらく待ち、準備をする。
余興のほうが少し伸び、パーティーも4時を少し過ぎるとのこと。余興の会場に行かなかった礼宮(現・秋篠宮)が東宮侍従と一緒に「ごちそうがあるお部屋は ココッ?」と話しながら入って来られる。おそらく侍従が「ごちそうがたくさんありますよ」などと話したからだろう。そのうち、皇太子さまをはじめ、次々と 皇族、元皇族の方々が入って来られる。お元気そうな美智子さまも、皇后さまの妹さんである大谷智子夫妻とごいっしょである。
しばらくして両陛下も来られ、まず高松宮殿下の音頭でお祝いの乾杯をされた。乾杯がすむと、両陛下は円いテーブルにお着きになったが、他の方々はそれぞれ、グラスを持ったり、料理を食べたりして歓談をされる。
礼宮は初等科一年生らしく、部屋の中を転げまわったり、テーブルの下にもぐったり、たいへんにのびのびと動き回っている。宮中という場所だけに礼宮の自由な子どもらしい動きがたいへんほほえましかった。
そのあと、くじびきの番号札が皆さんに配られる。卜部侍従の司会でくじ引きが始まる。このような催しは皇后さまの還暦のお祝いのとき以来、十年ぶりだそう である。番号札の一番から順々に品物が渡される。陛下は三十一番の札で「かぐや姫」というくじである。卜部侍従の説明では「たくさんの人を袖にする」とい うことで、品物は「カフスボタン」であった。
皇后さまは「皇后さまの先生」という札で、絵の先生である前田青邨画伯が鎌倉に住んでおられるので、鎌倉の絵がついた「ひざ掛け」を当てられた。
『那須の植物誌』出版記念会
2011/11/24 (Thu)
吉岡専造氏の撮影日記から抜粋
また、吉岡専造氏の撮影日記から抜粋
皇居・林島亭で「那須の植物誌」の出版記念会が行われた。皇后さまの主催だということで、招かれた人々は出版に関係した学者6人をはじめ、宮内庁長官、次長、侍従ら少人数であった。
林島亭は、元の呉竹寮を移築したもので、半蔵門のそばにある。部屋数5つか6つの、平屋の小さな建物である。
(中略)
撮影は、乾杯のときから始める。陛下はますますお元気の様子で、顔色もよく、一時間半にわたってお立ちのまま学者たちとお話をされていた。
皇后さまがおでんを食べていらっしゃった。カメラを構えると「あら、大きな口を開けているところを撮られてしまった」と、ほがらかなお声で笑っておられた。いつも明るい皇后さまである。
香淳さま、どうか雅子妃殿下をお守りください。
菊栄親睦会
2011/11/24 (Thu)
自然にマナーを身につけられていく
美智子さんのお父さんは、非常に温厚な企業人である。ちゃんと浩宮様もご出席になっておられますね。
お小さい頃からこうやって場数を踏むことで、自然にマナーを身につけられていくのでしょうね。
どうしてもヨメに付き添ってもらわなくちゃいけない方のほうが不自然です。
テーブルは品の良い小さな円卓で、金色の瀟洒な椅子が4つずつ置かれている。陛下のテーブル には、梨本夫人と武田(IOC委員)さんが着かれた。皇后さまは東久邇さんとお孫さんの三人でお話になっている。「照宮様が早くに亡くなられて残念でし た」と言った意味のことを東久邇さんが話されたときは、それまではいつも通りにこやかだった皇后さまのお顔が一瞬ひきしまったように感じた。
ロイヤルたちのお手本---英国王室 その1
ロイヤルたちのお手本---英国王室 その2
公務について
2011/12/11 (Sun)
「皇族ー天皇家の近現代史」

まず、このサイトで一番信用性のあるものとされているのは、本であります。
その中でも専門家の著書は、やはり参考資料の豊富さと、理論性で、他に大きく優ります。
ですから当サイトのポリシーとして、皇族の「公務」として専門家はどのように定義付けているかをご紹介します。おそらく多少言葉を選んででも天皇皇后の評判をあげなくてはいけない宮内庁HPより正確であると思われますので。
小田部雄次 静岡福祉大学教授著「皇族ー天皇家の近現代史」 中公新書
P374 「3 公務と外交」より 引用
戦後の皇室のいわゆる「公務」は、法的に定められた義務ではない。法的には天皇の国事行為しかなく、皇族もその代行があるのみである。国事行為以外の公務と称されるものは、非公式の慣行として積み重ねてきたものであり、その履行は法的に定められていない。
例えば、天皇明仁は即位15年目の2003年に全国都道府県一巡を果たした。(中略)しかし、これは法的に義務付けられた公務ではなく、明仁が天皇としての自覚から行った私的行為といえる。
国事行為には、たしかに「外国の大使及び公使を接受すること」がある。だが、赴任大使や帰朝大使の拝謁までは含んでいない。まして都内や地方への行幸は国事行為ではない。
宮内庁は「帰朝大使のためのお茶のように、平成に入ってから恒例とされたものもあり、また、認証式や学士院および芸術院の会員等からお話をお聞きになるな ど、内容においても変化してきております。」(宮内庁HP「今後のご公務及び宮中祭祀の進め方について」2009年1月29日)と述べ、公務の具体的内容や範囲は拡大解釈され、増加しているのが実態である。
(前略)雅子妃のように、体調を崩しても公務を「義務」づけられるのは問題である。慣行化された公務が、かえって皇族を束縛しているからだ。まして。夫婦で地方を行啓するという規定はどこにもない。そのような伝統もない。むしろ戦前の天皇と皇后は、行動が別であることが多く、皇族・皇族妃も含め、欧米の習慣にならった夫婦同伴と言う形は戦後になって増えたものである。
初版が2009年ですから、図書館ででもご確認ください。
はにかみの知性
2012/01/07 (Sat)
日本の皇太子妃の高スペックなこと。
ペリドット様が
「この時に戻ることはできないけど
この時に続くはずだと思った未来を取り戻せるように、いま、自分には何ができるだろう。 」
とおっしゃったこと、ええ、私もない頭で考えて、雅子妃が新聞を読まれるようになってから、つい目に入ってしまう週刊誌のひどい見出しで傷ついておられること、国民に理解されていないと悲しまれたこと(これも週刊誌記事だけど)を知り、
いいえー!そんなことはございませんっ!
国民は雅子妃殿下を理解し、ただただご快復を願っておりますっ!
と言いたくて、お誕生日とかご結婚記念日とかにカードをお送りしているのですが。
しかし、日本の皇太子妃の高スペックなこと。
(恥ずかしいなぁ、私の字。でもまぁ、それで「ヘンな字ー」と笑ってくださればいいのです)
女はね子供を産むだけではないんですよ。
どんな子に育つか、特に女の子に対しては、母親の資質が関係してきます。
そして怖いほど違いが出ます。
いい人生だと思うけどな
2012/01/14 (Sat)
あんまり綺麗に映っていない美智子さんの写真
美智子さんの写真集を2冊持ってるけど、どれもみんな美しく少し憂いをふくんで、足はしっかりモデル立ち、というポーズ。
「白樺」と銘打たれたヤツなんか、天皇皇后両陛下ご成婚50周年記念写真集なのに、全編これ美智子様。
天皇陛下は美智子さんのコサージュよりまだ軽い添え物扱い。
まぁ、「白樺」だから仕方ないとは思うけれども、ご成婚記念にいくらなんでも偏りすぎだろうと思う。
でも美智子さんは本当にもう、目がくらむばかりの美しさである。
だから、かえってあんまり綺麗に映っていない美智子さんの写真を見つけると嬉しくなる。
昭和天皇のように、大日本帝国を引きずっているわけでもなく、戦争を「過ち」と言い換えて謝罪して回ることで「平和を祈る天皇皇后」としての評価を得、と にかく男であることが重要な世界にあって、男の子2人と女の子1人授かって、楽しい家庭生活を送り、今上陛下ご夫妻は、とってもいい人生だったと(あとま だ少しあるけど)と思う。
何を思い煩うことがあろうか。
と言うより、今の皇太子様が同じようなことでマスコミに叩かれているのに、天皇皇后が知らん顔してご立派路線の方へサッと乗り換えてしまっているのが解せない。
マスコミも平気でこんな写真を発表してたんだね(明仁さんがスケートで、すってんころりんとやっている写真もあったよね?)
どうしてやめちゃったんだろう?
人間臭くてとってもいいのに。
結婚10年のプレゼントは学術論文を交換
2012/01/14 (Sat)
当時の週刊誌は当時の皇太子夫妻に対して優しい
結婚10年までは雅子妃殿下もお一人でお誕生日会見をこなしておられた。
美智子さんは8月に静養先の軽井沢プリンスホテルで会見を行なっている。
苦労も多かったとは思うが、当時の週刊誌は当時の皇太子夫妻に対して優しい。
結婚10年「プリンセスに幸せはない」と外国誌
2012/01/14 (Sat)
当時の週刊誌は当時の皇太子夫妻に対して優しい
しきたりに真っ向から挑戦したことが、旧貴族の人たちとの関係を一層緊張させたと書いてあるんだけど、例えば、三笠宮百合子様がお姑様の貞明皇后のことを 書いておられる中に、戦後貞明皇后がお孫さんの(たぶん寧子様だと思ったけど)言葉遣いを宮中言葉に直させようとされたので、もう時代が違いますと申し上 げたところ、それもそうだということになって、以後普通の標準語でお話されるようになったとか。
浩宮様のご通園にパトカーの先導をつけないで、交通信号に従って街中を走る、これがオリジナルとしてもそんなに抵抗があったのかしら?
長じて「信号ノンストップで走る兄貴」を羨ましがった弟宮がいるそうだけど。
結婚10年妹ができました
2012/01/14 (Sat)
当時の週刊誌は当時の皇太子夫妻に対して優しい
タイトルと写真がそぐわないってのは結構あるけれども、並び方がこれまた奇妙でw
浩宮様、重そう。
それより上の子が「ボク、抱っこする」と言っても、母親ってのはなかなか目が離せないものだと思うんだけど。
浩宮様は浜尾さんにまかせちゃったし、サーヤは3人目だし、女の子だし、もしかして今上夫妻にとって、アーヤが一番可愛かったのかもしれない。
「ハゼはどうした?」
学習院って美智子妃のようなお母様方が多いと思ってました。
2012/01/15 (Sun)
「運動会参加ルック」

ルビー様が「子どもって、手触りがふわっとしたお母さんが好きじゃない。そういう感覚がないんだもん。 」と仰った意味が何となくこの写真で解けました。
当時の皇太子妃の華やかなお姿にばかり目がいって、今まで全然気が付きませんでしたが、他のお母様方は本当に「運動会参加ルック」なんですねw
いえね、新婚旅行に、帽子にスーツ、真珠のネックレスにハイヒールという時代もありましたし、こちとら田舎者でしょ。
皇族の子弟が学ぶ学校って、ハイソな方ばっかりだったんじゃないかと、ずーーーーっと思っていたんです。
うーん、やっぱりダイアナさんのように、ハイヒール脱いで裸足で走ったら、もっと人気出たかもw
♠ そうなんですよ
2012/01/15(Sun)
ルビー
この校庭の様子は、幼稚園ではないかと思います。
幼稚園の方が、より父母のハイソ度が高いのですが、皆さんTPOには合わせますからね。
美智子さん、まじめに玉ころがしてないよね。
初等科でも、なんかヘンだった記憶があるんですよね・・・。
今、顔をぼかして、初等科の遠足に同行するお母様達の写真メールで送りました。
遠足だから、運動会よりキッチリした服でいるけど、でも目立つアクセサリーをつけたり、胸を開けたり、高いヒールってないですよ。
美智子さんは襟の開き具合が一番おかしんだよね。
一般のお母様方は、全体的印象としてほんわかとお上品。
美智子妃さん風を感じさせる派手なお母様がいた記憶があるんですが、確か、初等科ではめずらしく不動産業をされていたように思います。
学習院の父母には「気合い」はいらない
2012/01/15(Sun)
ルビー
そういえば以前、
>ただ、美智子妃さまは、学習院が楽屋であると考えず、ステージだと考えて
>いたようなところがあって、ちょっと浮いていたかもしません。
というような事を書いた気がします。
「もと皇族」「もと華族」がかなり居る場所で、「社長夫人」もそれなりに居る場所で、保護者が服装だの態度だのに「気合い」を入れたら収拾がつきません。庶民保護者はビビってしまうし。
(戦前の学習院では、歴史の授業で「自分の先祖がそんな言われ方をするなんて」等で泣き出す生徒が出て大変だったという話が、同窓会報に出ていました。)
基本的に、肩の力をぬいてはんなりと校風に合わせているお母様が多かった。
気合いなんか入れてツンツンすましていた美智子妃さんは「野暮」だったと思います。
お妃教育
2012/01/20 (Fri)
ななお文庫
当時は女性週刊誌は買ってまで読まなかったので、全然記憶がないのですが、女性自身「雅子妃誕生」緊急増刊によると、雅子さまは和歌のお勉強を猛烈になさって、結婚前日には皇太子様に100首の和歌を贈られたんですね。
キコさんのお妃教育は、宮妃なので当然少ないんですが、雅子さまは皇太子妃ということで「皇室典範」が入ってます。
日本の法律を勉強するために、東大法学部へ学士入学された雅子さま。
男の子がいるというだけで、超法規的措置も可能な皇室に対し、どんな思いを抱いておられるでしょう。
♠ お茶・お花
2012/01/21(Sat)
Rosa wichuraiana
雅子様のお茶・お花は、外国の方への日本文化紹介だから、お稽古で手順覚えるというのより深いものだと思う。
さすが外交官のご令嬢よね。
たかがお茶・お花でも考え方が違うわ。
「私たちと同じような花嫁修業を積んでいた」なんて書く記者では、雅子様の凄さがわかっていないのは確実ね。
♠ 皇位継承NEWSポストセブン
2012/01/21(Sat)
みりぃ
「男系」限定論者に専門家が反論
全部は無理なので、一部抜粋いたします。
①旧宮家について
女性宮家創設について「男系維持策を優先して探るべきだ」との意見もある。だが、そのためには旧宮家出身の男子を皇族にする以外、方法はないのに、かなり前に取材が試みられて以来、誰もその男子の実情調査すらしてこなかった。
さきごろ『週刊新潮』(12月15日号)が旧宮家出身の男子を片っ端から取材した記事を掲載したが、皇籍取得の意思を示す者は皆無だった。長年にわたりそのような調査すらせず、「女性宮家反対」を唱えるのはあまりに無責任ではないか。
②女系天皇女性天皇
いずれ、女性宮家出身のお子様が皇位を継承すること(女系天皇)を認めるのか、といった議論も必要になってくるだろう。私は、女系天皇を認め、将来、皇位を継承する直系の男子がいない場合には女性天皇も認めるべきだと考えている。
過去にも10代、8人の女帝がいたし、第43代元明天皇から第44代元正天皇への継承は「母から娘」へ皇位が移っており、当時の大宝令の規定に照 らしても「女系継承」と言える。このように、日本ではシナや朝鮮のような男系のみによる継承ではなく、男系と女系の両方、つまり双系によって皇統が保たれ てきた。歴史上、前例がないわけではないのだ。
③男子にこだわるあまり
男子にこだわるあまり、直系女子よりも傍系男子を優先させると、どうなるか。本来は親から子、子から孫へという縦の継承が、男子が生まれた家に転々と移る横の継承となってしまう。国民統合の象徴として、不安定な印象を与えるだろう。
皇位継承問題についてはルールを論じるべきで、特定の方のお名前を挙げるべきでない。それをすれば、単なる人気投票となり、「自分たちの判断」を 軸に据えることになる。この発想自体、安定的な皇位の継承を崩すことに繋がる。その時々の国民のムードや感情に左右されるからだ。
③政治の怠慢。
将来の安定的な皇位継承を可能とするためには女性宮家の創設、皇室典範の改正が必須である。だが、これまでの政治の怠慢により、残された時間は少ない。早急に実現するには、世論の後押しがなくては難しい。
④ここからは個人的意見です。安倍元首相による愛子内親王の皇位継承剥奪。
小泉首相(当時)は長子継承で、愛子天皇実現目指して皇室典範の改正に踏み切りました。
でも安倍さんは「愛子さまが皇位継承第一位になってしまうと、悠仁さまの即位を奪うことになる」とか何とか、つい先日発売された雑誌で述べていましたよね?
傍系の宮さまにしか過ぎない悠仁さまの皇位継承権は守られて、何故直系の愛子内親王殿下に与えられるはずの皇位継承権が奪われなければならないのか。
もし今上天皇があと30年生きたとしましょう。
めでたく悠仁さま25歳でご結婚(雅子妃殿下以上に重圧のかかる結婚をしたがる女性もいるのか疑問ですが)!
めでたく男子誕生。
でもその男子は『親王』ではなく『王』になるんですよね。
そこんところ、安倍さん解ってるのかな?
仮に30年後、御代が変わっているとします。
秋篠宮は皇太子にはなれません。当然、悠仁さまがご結婚され子供が生まれたとしても、その子はやはり男子なら『王』、女子なら『女王』です。
秋篠宮さまが即位されない限り、悠仁さまの子は親王にも内親王にもなれません!
安倍さん、全然解っていないでしょう?
それ以前に結婚してくれる女性を探すのも大変でしょうけれどね。
♠ 安倍晋三が二千年を語る
2012/01/21(Sat)
ルビー
「2000年以上も連綿と続く皇統」「2000年以上続く皇室」「日本の歴史を壮大なタペストリーとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室」と言った意見を、文藝春秋で安倍晋三氏は何度も言っているのだけれど、何を根拠に言っているのでしょうか?
歴史の常識で言ったら、3〜4世紀は古墳時代で、ヤマト政権はあったとしても近畿地方の一豪族であり、日本に小国が並び立っていた時代。じゃあ、その時、近畿じゃない場所にいた人々は、日本の歴史のタペストリーには描かれないわけ?
坂上田村麻呂が陸奥で蝦夷と戦ったのは8世紀。じゃあ、東北の人達は、日本人じゃないわけ?
一方で、これは「歴史観ではなく神話観なんです」っていうことなら、なぜ天照大神について触れないかがわかりません?
「美しい日本」という思想は、とんでもなく危険なんだということだけは、良く判ります。ただ、風邪と下痢で1年で総理大臣を辞任した人が、その2000倍の歳月について語る滑稽感は面白いです。
>安倍さん、全然解っていないでしょう?
安倍さんはいろいろな事がわかっていないと思います−。
今に限っては、国民がよく気がつかないでいるうちに、秋篠宮とくとくプランとして、女性宮家が決まってしまうと困るので、安倍晋三氏には、男系男子派の主張を1年以上は言い続けて欲しくもあります。しばらくは、体調に気をつけて欲しいなあ(笑)。
♠ Re:安倍晋三が二千年を語る
2012/01/21(Sat
月兎
安倍ちゃんは二千年どころか一年先に下痢して総理をやめることも予見できない人だから、皇室の未来について明日のことにも関わるべきではないと思います。
またお下痢しても知らないよ~ん。
♠ Re : お妃教育
2012/01/21(Sat)
ガーネット
Rosa wichuraiana 様
>雅子様のお茶・お花は、外国の方への日本文化紹介だから、お稽古で手順覚えるというのより深いものだと思う。
私もそう思います!
「日本のことを知ってもらうために」 「自分も日本の伝統をもっと深く極めたい」 というお気持ちから、お茶・お花を習われていたのだから、カタチだけを準えたのものではないですよね。
そして記事中で気になったのが
美智子さんのお妃教育に 「礼儀作法」 があること。
「ウチは上流階級にだって負けてやへんで!」 と言った母親の娘さんなら 「礼儀作法」 は不要なのでは?
それとも 「礼儀作法」 は 「宮中での礼儀作法」 という内容なのかなぁ? でも、それならそれで 「宮中慣習」 の中に含まれてそうだし?
美智子さんがお妃教育で習った 「礼儀作法」 に 「皇太子妃の帽子は、若い時はターバンにし、年齢を重ねた後は小皿のように小さくすべし」 なんて文言あったら、それはそれで面白いかも★
エルメスのスカーフ
愛子さまはじめての遠足 新潮創刊50周年記念号
2012/01/30
(Mon) ななお文庫
周りの方もみな笑顔、良かったですね。
敬宮殿下は幼稚園ご入園直前ですから、4歳ですか。
悠ちゃんが同じ上野動物園でモルモットを並べていた頃と同じくらいですか?
「一緒に動物園を訪れた知り合いの子供たちと共にライオンやワニなどを見て回り、ご自身の誕 生を記念してタイから寄贈されたアジアゾウとも初めての対面を果たされたという愛子さま。園内を移動するためマイクロバスに乗り込んだ際にも、興味津々と いった様子で窓の外をご覧になっていた(写真下)」
この後、ディズニーランドへ行かれたら、今度は狂ったように叩かれだしたのですよね。
この頃までは、とても温かい目で、新潮も書いてくれていたのに・・・。
何があったんでしょう?
♠ 無題
2012/01/31(Tue)
シトロエン
愛子さまには象が2頭も贈られたのに天皇陛下お気に入りの氷さまのご長女には贈られなかったのがムカついたのではないでしょうか。
♠ ディズニーランドで………
2012/01/31(Tue)
ガーネット
愛子ちゃんがご両親の皇太子ご夫妻とご一緒に東京ディズニーランドにお見えになったのはTVでも報道された。
それは、
ディズニーランドにいたゲスト達は皆こぞって (我が子が乗っているベビーカーを放っぽり出した母親達もいた) 愛子ちゃんを見ようと駆け出して写真を撮りまくっている映像だった。
ママ達は 「見た! ラッキー! 可愛かったー!」 と興奮して、
パパ達は 「僕達と同じなんですねぇ」 と笑顔でインタビューに答えていた。
愛子ちゃんが実物のミッキー (ミニーだったっけ?) を見たら恥ずかしがったような顔をして握手する手を引っ込めたけど、ゲスト達は皆その様子を微笑ましく見ていた。
そこにいたゲスト達は皆、ハッキリ言っちゃうと、今までのニュース映像に映っていた天皇皇后を見た人達よりも遙かに明るかったし喜んでいる笑顔だった。
私はその映像を見て (愛子ちゃん、すごい人気! 天皇皇后より人気ある!) ってのがハッキリ分かったし (子育て世代、つまり「日本の未来を担う世代」が皇太子ご一家を見て喜んでいるのは皇室にとっても良い事だよね) と思った。
愛子ちゃんが公園デビューした時、
「皇太子ご一家が公園で遊んでいたのに遭遇したママ達が携帯で 『○○に皇太子一家が来てる! 愛子ちゃんいるよ! 可愛い~~!』 と友達に一斉送信した。それがどんどん広がって大勢の親子達が公園に押しかけたんですよ」
と報道された。それは、愛子ちゃんが人気あるからこその現象なんだよね。
だからバッシング記事が出た時に私は (へ? なんで? ゲスト達みんな喜んでたじゃん!) って不思議だった。
そして、この一件からじゃなかろうか?
天皇皇后を出迎える市民達の、音声付き映像が少なくなっていったのは………
♠ 雅子さま「追っかけ日誌」①
2012/01/30 (Mon)
ななお文庫
キコさんが(お印のついた子を)孕んで国会をぶっ潰してから1ヶ月なんですね。
「紀子さまのご懐妊が、雅子さまにとって重圧となり、症状を悪化させるという診立てが杞憂に終わったことは喜ばしい限りだが、その一方で、何十台ものカメ ラの大放列には、やや抵抗感が残っているのだという。そのため宮内庁の意向で、上野動物園のご訪問も半ばお忍びの待遇。記者クラブの担当記者やカメラマン たちの姿はなかった。
その代わり、皇太子ご一家を待ち受けていたのは、雅子さまや愛子さまの姿を一目、見ようという熱心な「追っかけ主婦」のグループだった。
追っかけ主婦が出した雅子さま・愛子さまの写真集も出版されているが、捏造記事よりはよほどよく観察しておられるようで、大層興味深い。
「しかし、私のアルバムは、2~3歳の頃の可愛いさかりの愛子さまの写真がほとんどなくて、 空白になっています。これはちょうど、雅子さまが少しずつ隊長を崩されていった時期とぴったり符合する。私のアルバムに欠けてしまった愛子さまのお写真 が、雅子さまの苦悩の時を象徴しているような気持ちになることがあります」(神奈川県在住の主婦)
これは愛子さまの発育が遅れているだの、自閉症だのと言われていた時のことなのかしらね?
この頃はあんまり週刊誌を読まなかったし(美容院で読むくらい)、知らなかったなぁ。
知っていたら抗議の手紙を週刊誌に送りつけてやったのに。
雅子さまが公務にストレスを感じていると医師団から発表されたが、
「7月20日の愛知万博の訪問時に、明らかにその様子が見て取れました」と熱っぽく説明するのである。
「1年8ヶ月ぶりの地方公務に”お元気になられたかしら”と胸をワクワクさせながら、東京駅のホームで待っていました。午前10時に名古屋行きの電車に乗 る時、雅子さまは険しい顔で笑みもなく、”雅子さまー!”と声をおかけしても、こちらを振り向いていただけなかったのよ。ところが、そのまま夜の7時のお 帰りを待っていたら、今度は朝とは全然違って、笑顔で、手まで振ってくれるほどだったのです。どれだけ公務が雅子さまにプレッシャーとなっているのかが、 ハッキリしました」(同)
これね、悪い人ではないけど、こういう素人の方の結論が独り歩きするのに、私はちょっと危険を感じる。
うつ病には「日内変動」というのがあって、多くの人は朝方は抑うつ気分が強いことが多いって(反対の場合もあるけどね)。
雅子さまが「公務にプレッシャーを感じている」のではなくて、日内変動で抑うつ気分が強かっただけ、と言う見方が出来る人なら、この後の「公務は出来ないが遊びは出来る」などという叩かれ方はなかったのではないかと思う。
実際、雅子さまは万博で、お出迎えのぬいぐるみモリゾーとキッコロに手を振らなかったと叩かれたり、アジア・アフリカは素通りで、カナダ館へ入った、よっぽど白人が好きだ、と悪口を言われた。
たしかテレビでそういうことを言ったバカがいたし、それをわざわざキャプってサイトに挙げて、今でも検索するとゾロゾロと出てくるようにしている「アンチ東宮」がいるが。
愛知万博に遠来の友達を案内するために、かなりの回数、会場へ出かけたが、愛知万博に足を運びもせず言いたい放題のバカたちに言いたい。
雅子さまがいらしたのは7月20日、あの会場の暑さを知らないで、妃殿下を中傷するのは許せない。
私の東京の友人も雅子さまがいらした数日後にやってきたが、日陰一つない会場を歩いて移動するのに、あっという間にぐったりしてしまった。
海上の森はオオタカの巣が確認されたくらい自然豊かだが、展示館を建てるためにメインの会場の場所は、木を切ってしまってあった。
そしてデザインに従って植え直された木はヒョロヒョロとして、日陰を作るどころではない。
赤土の遊歩道の脇にはミストを吹き出すグリーンポールがところどころ立てられていたが、部分的だし、ちょっと涼しく感じるだけである。
だいたい東京と名古屋は平均2度くらい違う、名古屋の夏は暑いのだ。
そこへきちんとした上着姿で・・・、私は雅子さまがよくいらしてくださったと思う。
たぶん皇太子様が愛知万博の名誉総裁でいらしたから、無理をされたのだと思う。
たしか、アジア・アフリカの国の展示館の多くは、開放的になっていて、クーラーはついていなかった。
妃殿下がカナダ館へ入られたのは、クーラーが効いていたからだろうと思う。
私達も冷房の効いたところへ入りたいがために、カナダ館に数十分並んだほどだから。
午前中、抑うつ気分で集中力が下がっているところにあの暑さ、モリゾーとキッコロの中の人に同情するような優しい人間なら、もう一方の雅子妃のことも思い やれ、クソッタレどもが(雅子妃を叩きたいがために、マスコットキャラクターの中の人に同情するふりをしているだけじゃないか)。
と、以上のことから、素人の結論をそのまま載せることに危惧する。
これは編集長の責任だと思うけどね。
でも、こういうことが香山リカの「雅子さまは遊びはできる新型ウツ」発言になっていくのだ。
ちなみに香山リカよりすごーーーーーくまっとうな精神科医である大野裕先生は「新型ウツはレッテルを貼っただけで、実際には(そういううつ病は)ない」というご意見ですよ。
私が講義を受けたM大医学部の精神科教授も同じご意見です。
雅子さま「追っかけ日誌」②
2012/01/30 (Mon)
ななお文庫

「去年(2005年)の10月、葉山で静養されていた天皇・皇后両陛下を、皇太子ご一家がご 訪問したときです。
ご一家は10月9日の午後4時から翌日の3時まで、一泊23時間の短い滞在でしたが、その晩、両陛下は外出されて、夕食を共にされな かったはずです。
翌朝の散策の折も、皇后さまとサーヤは皇太子ご一家とまるで反対の方に海岸を歩いていかれました。
最後には合流したのですけど、愛子さま の砂遊びに加わろうとした皇后さまに、愛子さまがそっぽを向く仕草をされて・・・・。皇后さまが愛子さまの肩に手を置こうとした瞬間、するりと身をかわし て、皇太子さまの手をとったのです」(40代の会社員)
あらまぁ!
普通、孫ってのは「ばあちゃん」が好きなものだけど?
孫に避けられるって、何があったのでしょう?
普通はこういう大人たちの気持ちの行き違いは、小さい子には知らせない(知られない)ようにするものだけどね。
また、12月23日の天皇誕生日の夕食会の前に、むずかった愛子さまを東宮に連れ帰り、2時間以上も中座されたことが非礼にあたるとの非難を浴びた。
しかし、御所の出入りをじっと見ていた「追っかけ主婦」たちは、少し別の見方をするのである。
「報道では、愛子さまがひどくむずかって、雅子さまが連れて帰らねばならない状況だったとされていましたが、御所から出るお車を見ていた限り、愛子さまは全くむずかっておられませんでしたし、泣いていた様子もなかったのです」(同)
彼女によれば、この日、愛子さまと同じく天皇陛下に挨拶に見えた眞子さまと佳子さまは、髪を結って鮮やかなピンク色のきものをお召しだった。その一方、
「愛子さまのほうは白っぽい普通のワンピースだったのです。(後略)」
ご病気でもあるし、天皇陛下にご挨拶はするけれども、夕食会は「皇太子さまだけ出席、妃殿下は失礼させてもらう」という予定だったんじゃないかなぁ?
それが連絡ミスでもあったか、それとも「とにかく呼び返せ」と、2時間も後に見せしめのためにわざわざ戻させたか?
なぜ秋篠宮家と皇太子ご一家、同じ皇孫のドレスコードがかくも異なるものになったのか訝しいが、「そもそも、雅子さまは他の宮家よりもお洋服が地味なのです。(後略)」
と、新潮も書いているが、それはやはり天皇皇后による露骨な「東宮一家外し」のせいでしょうよ。
ド庶民風味のギンガムチェックの洋服しか着せていなかったのに、一気に娘たちを派手に飾り立てて、すでに「気分は皇太子妃」のキコサンのリキミ方が、窺えるではありませんか。
昭和46年・女性セブンに載ったスナップ写真
2012/02/05 (Sun)
ななお文庫
この人のエピソードを知ると、どうしても降嫁前提で教育している、というのが売りだったサーヤを思いだしてしまう。
「手早く、手回しよく」というのはオツムがよくないと出来ないんだよね。
結婚10年のプレゼントは学術論文を交換
2012/01/14 (Sat)
当時の週刊誌は当時の皇太子夫妻に対して優しい
結婚10年までは雅子妃殿下もお一人でお誕生日会見をこなしておられた。
美智子さんは8月に静養先の軽井沢プリンスホテルで会見を行なっている。
苦労も多かったとは思うが、当時の週刊誌は当時の皇太子夫妻に対して優しい。